米国には何度も行ったが、いつも取材ばかりだから、グランドキャニオンを見たことがない…子供の頃からの憧れだから、一度は見物しなけりゃ、と1990年代の或日日出かけた。
途中、宿泊先のラスベガスで見つけたのが、インペリアルパレス自動車博物館…カジノのオーナーが、有余るゼニで収集したのだろう…インペリアルパレス=一階が賭博場・上階がホテル・その五階に博物館。
観光地らしく、ヒトラーのベンツ、ケネディー大統領のリンカーン、フーバー大統領のハドソン、ムッソリーニ愛人のアルファロメオ、プレスリーのキャデラック、昭和天皇マッカーサー訪問時のパッカード、なんてえのもあった。
圧巻は特別室だった…一台あっても博物館の目玉になるデューセンバーグが、30台近くも並んでいた。
フレッド・デューセンバーグが、1916年=WWⅠ中に創業した会社は、ブガッティの飛行機用エンジンを造る、専門工場だった。
で、WWⅠ終戦で、1920年に乗用車生産を開始したのは、同じく航空エンジン専門工場だった、BMWと同じだった。
1920年=大正9年は、米国ではラジオ本放送開始・禁酒法施行で、腹を肥やしたマフィアの親分達が愛用したのも、デューセンバーグだった。
デューセンバーグ,最大の特徴は廉価版がなく、全部が超豪華な高性能車ばかりだったことだった。
この豪華絢爛な高級高性能車は、たちまち大物芸能人御用達となった。
J型は無声映画時代からの大女優・グレタガルボ、SSJショートホールベースにゲイリークーパーといようにだ。
写真:グレタガルボ&ゲイリークーパー
赤いのは、SJスーパーチャージャーのマーフィー四座席コンバーチブルクーペ1932年型…マーフィーは,ニューヨークの架装屋で、このSJクーペを26台架装したという。
写真:SJクーペの前方と後部トランク。
このクーペを買ったのは、名優クラークゲイブル、大歌手のアルジョルスンなどだったと聞く。
写真:ゲイブル+ロンバード夫妻&大歌手アルジョルスン。
デューセンバーグは、高級車らしい昔の習慣で、シャシーだけを販売、ボディーは架装屋にまかされた…値段は、初期型の小型SJで1万1750ドルだが、それにマーフィーの架装代が3500ドル必要だった。
大型だと、2万5000ドルもしたそうで「フォードが50台買えた」とは、ガイドの説明だった。
豪華大型車の心臓は、直列八気筒、いわゆるストレイトエイトDOHCで、6882cc…それをスーパーチャージャーが加給すると、320馬力を発生して、最高速は140マイル=225㌔という高速に達したという。(後年は400馬力に)
栄耀栄華を誇った、大スター御用達のデューセンバーグは、1937年のパリ万博の年を最後に、市場から消えた。
この年、巨大飛行客船・ドイツのヒンデンブルグ号が米国で炎上。ドイツがスペイン内戦に参加してゲルニカを無差別爆撃。一方アジアでは、日本軍が南京占領。
世界は、第二次世界大戦へと突き進みながら、豪華車無用の時代に向かうので、消えた方が良かったのかもしれない。