ボートテイルとは、車のスタイリングの一種で、今では見られなくなったが、尻が丸くすぼまった姿だ…昔船が木造だったころの姿からのものだった。

写真:ムゼオ・アルファロメオ博物館。

 1920年代前後、車のボディーが手作りだった頃は見られた姿だが、ボディーがプレスになってからは、消えしまったスタイリングだった。

 だから、甦ったときには、新鮮で注目を浴びた…それがアルファロメオ・スパイダー…スタイリングはピニンファリナだった。

 誕生したのは、1967年で、その1300ジュニアが、晴海のショーに登場した…本国には1600もあったのだが、当時の日本の購買力では、1300の方が、ということだったようだ。

 その頃の日本は、自動車生産量世界第二位になり、輸出用の埠頭も完成「サア稼ぐぞと」意気込んでいたが、世界から警戒されることもなく、のんびりした時代だった。

 あるとき、日本在住、知人の英国人ライター・ブライアン・ロングに、アルファロメオ・スパイダーのことで、問い合わせたことがあった。

「それ持ってるよ」英国の車庫に保管してある。最初のオーナーが、モイラ…シアラーだという…1948年作・初期のカラー映画{赤い靴}主演の有名女優だった。

写真:鈴鹿でレース観戦中のMr,B.ロング&モイラシアラーのスパイダー。

 「美人薄命」と昔の人は言うが、スパイダーは美人なのに長生きで、1990年にマイナーチェンジした…がそれで、せっかくの美人のお尻が、当時流行のスパッと切り落とした、コーダトロンカ風になってしまった。

 コーダトロンカ=テイルをスパッと切り落として、後部に生まれる渦流で、後ろからも車を押すという理論で生まれた、レーシングカーからのものだった。

 で、ファリナ作の美しいオ尻が、美しさ失ってしまった。

 それ以前の流線型は、前も後ろも絞りこめば、空気抵抗が減るという理屈で、テイルを船のように絞りこんだやつを、ボートテイルと呼でいたりしたのである。

 さて、ファリナ作の長命美人は、あと少しで30才になるという直前の、1965年のパリサロンに、新しいスパイダーが登場して、鬼籍に入った。

 マイナーチェンジした2㍑120馬力は、排ガス対策も影響して、キビキビ感が消えてしまった…単に美しい姿と、オープンエアモータリングが楽しいだけだった。

 一方、最初の1300の心臓は、直四DOHC・ウエーバーキャブレター二連装・6000回転で103馬力・短かく床から突きでたダイレクトシフトで、高回転高出力を操れば、最高速度は170㎞を超え、ゼロ400加速が20秒を切り、キビキビとした走りは、まさにスポーツカーだった。 

 元気な1300スパイダーが誕生した、1967年頃の日本では、流行りだしたミニスカートで踊るゴーゴーダンスに男どもが目をうばわれ、東京を網の目のように走る、便利な都電を、美濃部都知事がやめてしまった頃でもあった。

 

 注:数日後ブライアンさんからメイルが届きました。

PS. The first owner was Marius Goring, who starred in The Red Shoes.

20年近く前だったと思うが、たしかモイラしアラーだと、聞いたのだが…持主の言だから、こちらが正しいのだろう/謹んで訂正いたします。