紹介するアンテナの広告は、茅場町で給油所と修理工場をやっていた、昭和35年=1960年頃だから、初代クラウンや初代ブルーバード、コロナなどが登場して、日本の車が、ようやく一人歩きができるようになった頃である。

 が、やはり人気は米国車で、高級車になると、パワーステアリング、パワーブレーキ、パワーウインドー、パワーシートなどを装備、それをオールパワーと呼んで、憧れの的だった。

 そんな高級車には、プッシュボタン選局のラジオが付き、さらに高級なのには自動選局ラジオが付いていた…キャデラックの自動選局ラジオは、真空管で、12インチの楕円コーンスピーカーが素晴らしい音を出していた。

 アメ車のなかには、アンテナも自動があり、インパネのスイッチで、ニューッと上下する…が、動力がエンジン吸気だから、作動中アクセルを踏むと、上下する速度が遅くなった。

 英国車に多かったが、吸気動力がワイパーの場合は、アクセルを踏み込むと、一瞬前が見えなくなり、大雨の夜などは一瞬ドキッ、だった。

 オートアンテナ車は、ステイタスだけじゃなく、日本では、別の目的でも人気があった…当時、アンテナを出したまま駐車すると、不心得者に折られるからだった。わざわざ引っ張り出して折るという悪質者もいた。

写真:フォード1952年&オースチンA50/国産車使用の政令で岸首相も国産車へ。

 

 アンテナばかりではない。フェンダーミラーも折られたし、ベンツの星のマークなんか、折られると保険会社が泣きっ面だった。

 で、賢い日本の業者が、考案したのが、オートアンテナだった…マルエヌ製作所は、当時用品メーカー最大手で、ボッシュ型の後付ヒーターや、エアコンがない時代の車載用12V扇風機など、人気商品のメーカーだった。

 12V電動アンテナは、インパネのスイッチで上下し、好きなところで止めることができる、便利なアンテナだった。

 その宣伝文句{下げたときには根元まで一杯に入るので、破損、悪戯、盗難の憂いが全くない}とある…要は、不心得者対策ということだ。

 当時、大卒初任給ほどが素っ飛ぶ値段だが、裕福な自家用車オーナーには、人気があった…もっとも、信号待ちなどで、アンテナを上下させて、周りの人に見せる快感もあったが、やはり折られないということが優先重視だった。

 が、当時の技術は低かったから、上下させるワイヤの位置がずれると、途中で止まり、最後まで格納できずに、業者と一悶着ということも、しばしだった。

 当時アンテナは、ビュイックやローバーのようにルーフに、というのは希で、前輪フェンダーというのが大半だから、不心得者には折りやすかったのだ。

 電動アンテナは高価なので、押し込むとロックしてしまう手動タイプもあったが、車を止めないと引き出せないので、やはり人気は、電動だった。

 やがて、マイカーが増え始めると、やっかみも減り、折られることもなくなったので、Aピラー外付け型や、Aピラーに組み込まれるようになった。

写真:Aピラーに外付けアンテナ/ブルーバード1977年。