日本には三大そばというのがあるという…わんこそば、戸隠そば、そして割子そばということのようだ。

 わたしは,そば好きだが、都内に割子そばの店は少ない…そんな割子そばが、なんと千葉県の館山で食べられると聞き、RAV-4で試乗がてら。

 店の名は{出雲そばと炭火焼き八雲}という…炭火焼きとあるように、焼き鳥が旨い店で、それで一杯、最後の〆を割子で、という寸法だ。

 ここの親方、腕は一流らしく、ソバ前も天ぷらも旨い…衣が薄く、軽い食感は,関西風とでも言うのだろうか。鴨なんかも旨かった。

 割子は、朱色の容器で、三段一人前を基準に、好きなだけ注文できる。

 店の前に、車を駐めて入ると、アプローチから店内まで、なかなかの風情で、ここの親方かなりな凝り性のようだ。

 突き出しの豆腐が旨かった…割子は、薬味をのせて、つゆを適量にかけながら食べ、一枚終わったら、残ったつゆは次の割子に移しながら食べ終わる、と神田で教わった。

写真:突き出しの豆腐&割こそばは一人前三段。

 そばがきも旨かったし、柚の香の立ち上がる湯桶も上々…最近は湯桶=ユトウという言葉も死語になりつつ、で老舗でも一部でしか聞けなくなり、そば湯が一般的になったが。

写真:そばがき&柚の香がする湯桶に+残りの小ネギを。

 私の初割子は、昭和30年初めの頃で、今はなき神田神保町{出雲そば}だった…78回転レコードの八木節にあわせて、いつも軽く酔った赤い鼻で、軽く頭ふりふり調子をとりながら、そばを切っていた。

 が、有名になり、○○宮殿下献上、××妃殿下献上などと書かかれた、漆塗りの生舟が、増えるにつれて、さぼるようになり、晩年は、そば切り姿を滅多に見られなくなった。

 長いこと、切ったそばを入れる箱を飯台と呼んでいたが、飯台は寿司屋にあるような丸い平たい桶のようで、そば屋の四角いのは生舟だと、最近知った…本来は檜製で、切った生そばが、乾かないようにとの配慮だという。

 神田の出雲に通い始めの頃は、一人前三段で150円だったが、あるとき5段が一人前になったら、一皿の量が少なくなった。

 三段一人前の頃、親方が「好きな薬味を載せ・つゆを掛け・二口半で食べる」と教えてくれた…その薬味が、あるとき三種から五種に増えたことがあった。

 要は、二口食べたら、残りの半口と残ったつゆを、次の割子に空け、違った薬味で、食べろというのだ…まだ、味変という言葉が、なかった頃だった。

 最後は、そばを全部食べたら、残りのつゆで湯桶を飲む、と教えられた…だから、安心して、つゆがたっぷり掛けられた。

 出雲では、20杯食べると名前が張り出された…トップは100杯オーバーだったと思うが、横綱吉葉山だった。

 好奇心的には最高だが、忙しくて食べたい気がしないワンコそばは、数回で懲りた…が、そば殻ごと挽いて、香りたくさんの割子そばは好物だが、食べられる店が少ないのが残念だ。

 ということで、館山でも、何処でも、割子そばがあると聞けば、食べに行く。