昭和56年=1981年の日本は、バブル発展途上で好景気に沸いていた…自動車生産量世界一、安くて故障が少ない日本車に世界が警戒を持ち始めていた。国内保有4000万台越。ちまたにはブランド志向が芽生えていた。

 車は安くて走ればいいという時代が過ぎて、ゼイタク上級指向に。時には遊びの要素も求められた…そんな時代にあわせて宿敵日産がレパードを投入したのが80年。そして81年にトヨタがソアラを投入した。

 ソアラとは、グライダーの、プライマリー➚セカンダリー➚そして最上級のソアラーをもじったようで、青空を静かにスイスイ飛ぶカモメのイメージを重ねたのだろう。

 そのころ日本では、金満家御用達→憧れのステイタスカーはベンツSLで、その辺をイメージして開発したようだ…開発コードEX-8のウワサが流れると、我々はトヨタ2000GTがヨミガエると期待に胸をふくらませた。

 が、ソアラは、2000GTのヨミガエリではなく、ベンツSL指向でゼイタクな、高級パーソナル・ツアラーだった…それは単に魅力的な姿、高級高品質だけではなかった。

写真:最初の報道試乗会/小田原漁港。

 

 ソアラは、トヨタの持てる技術を惜しみなく注ぎこんでいた…最高の操安性・乗り心地はもちろんのこと、話題は日本初の針なし速度計を含むエレクトロニクスインパネ、電子制御エアコン、そして長年蓄積したノウハウと技術・知恵を結集した5M-GEUエンジンなど。

写真:針なしのインパネ

 少し前の日本では、排ガス規制の嵐が吹き荒れて、各社のエンジンは軒並みパワーダウン…で、日産はターボチャージャーで、トヨタはDOHCで燃焼効率を上げて乗りこえる作戦にでた。

 その心臓は5M-GEU…当時日本市場では、日常的にDOHCと呼んでいたが、トヨタは英国流の表現で、ツインカムと呼んで、差別化を図った。

 ちなみに5M-GEU・ツインカム6は、2795ccで170馬力を誇った。

 いよいよソアラがベールを脱ぐと、我々の予想は大きく外れた…手作りの2000GTに対し、ソアラは量産車…初対面で、こんなのが大量に売れるはずがない。フラグシップ的存在でイメージアップ効果を期待した作品だと思った。

 が、売り出すと人気は鰻登り。評判が評判を呼び、売れに売れたのである…運転が好きな金満家オジサン達が乗りはじめると、その奥さん、裕福な若者達たちと、ファンが増えて、怖いおじさん達や、その愛人達までが乗り出した。

 それからのソアラは、後の世の語りぐさになるほどの人気で、グライダーのソアラーのように、トヨタの期待をのせて大きく羽ばたいたのである。