1956年型キャデラックには、想い出がある…藤沢飛行場で訓練していた、日本グライダークラブの仲間だった、米空軍バッツ大尉の1956年型キャデラックを、しばらく預かったことがあるからだ。

 藤沢飛行場は、藤沢カントリークラブを接収して造った海軍の飛行場で、戦後しばらく、民間で使えたのだ…しばらくすると、荏原製作所になって、今はないが。

 当時の日本は外貨不足で、外車輸入禁止時代…米軍関係者、外交官、第三国人などの車が、2年間使ったら、買って輸入手続きが出来る時代…日本人の新車は、二年落ちの中古車ということだった。

 で、バッツ大尉から「買い手を探して」と、預かったものだった…当時の市場は、1957年型が最新の時代だったから、1年古いので売れずに、返却したが。

 1994年、ロサンゼルス郊外を走るバスの隣を併走する、全く同じ色のキャデラック62シリーズを、見つけて、懐かしくて写真を撮った。

 しばらくの間併走していたので、眺めていたが、キズ一つなくピカピカ。ホワイトサイドウオールタイヤ、ラジオのオートアンテナ、リアのホイールカバー、今工場から出てきたばかり、40年間をタイムスリップしたような姿だった。

 この時代のキャデラックは、既にパワーステアリング、パワーブレーキ、パワーウインドー、パワーシート、そして冷房装備車もあったから、今でも不自由なく使えるだろう。

写真:米国でパワーブレーキがオプションだった頃のカタログ/靴とブレーキペダルの間にサングラスなんてぇのもあった。

 1956年頃、日本の車といえば、前年に観音開きの初代クラウン、ダットサン110,スズライトが誕生、ようやく一人歩きが出来るようになった時代だった。

写真:62シリーの上に高級な60スペシアルシリーズのリアフェンダー下部にはタテの飾りがあった。

 20世紀末まで、米国でのキャデラックは、特別な車だった…大統領の公用車でも判るように、仕事に成功して金持ちになると、乗りたい車がキャデラックというのだ。

 例外もあるだろうが、ロールスロイスでもベンツでもなく、リンカーンやクライスラーでも、ないという。

 米国の、在外大使館公用車の多くが、キャデラックだし、日本の大使館でもキャデラックが多かった。

 ローマで、私が泊まる安ホテルの従業員を驚かせたのは、日の丸の旗をつけた大使館公用車キャデラックに乗って、与謝野秀大使が来たからだった…安ホテルに大使館公用車?驚かせるには十分だった。。

 1956年というと、戦後約10年、米国が富み栄えた絶頂期だから、メッキピカピカの長大な姿が貫禄で、全ての仕上げも素晴らしかった。

 既に大排気量、大馬力の競争が始まっており、この62シリーズのV型八気筒エンジンは、OHV・5840cc・285馬力というハイパワー&ハイトルクを誇っていた。

 全長5372㎜・WB3225㎜。バッツ大尉の62にシリーズ・セダンドビル型4ドアセダンは、4550ドルだった…それが日本で売れたとしたら、2年落ちの闇相場で600万円ほどにもなったろう。

 そんな高級車が、米国では、年間12万8429台、というのだから、さすが米国と、感心したものだった。