かつて、いすゞ117クーペと呼ぶ美しい車が存在した…品格のある姿から{地上に降りた天使}と呼ばれたことさえあった。

 美しさならヒケをとらないシルビアが、3年ほど前に誕生している…どちらもカスタムメイドだが、シルビアは売れずに寿命は3年だったが、117は1968年~81年という長寿命だった。

写真:前も後も美しい

 もっとも117で、真のカスタムメイドといえるのは、1968年から72年迄に出荷されたもので、その後は量産化のために、姿は似ているが細部で異なる部分があり、カスタムメイドではなくなり、高い品格も質感も薄れている。

 そもそも美しいと言われた天使の、生まれ故郷はイタリア…著名なカロッツェリア・ギア社だが、デザインしたのはジウジアーロで、そのご独立して、イタルデザインを創業するが、独立後も117の面倒を見続けた。

写真:来日して117クーペのボンネットにサインするジウジアーロ

 そもそもの始まりは、ヒルマンの国産化で、学んだ乗用車造りの技術で完成したベレットを、ベースにセダンとクーペの開発をいすゞが依頼したものだった。

 で、完成した車は、1966年のジュネーブショーで公開されたが、美形揃いの欧州勢ライバルの中でも好評で、イタリア国際デザイン・ビエンナーレ名誉大賞をするほどの評判を得たのである。

 ちなみに完成した2台の車、ショーでは117クーペと117セダンを名乗ったが、いすゞに来たら、クーペはそのまま117で、セダンはフローリアンの名で発売された。

 ショーモデルは好評で、企業のイメージアップという、いすゞの目標は達成されたが、次のステップは販売だった…が、販売となると、そのままの構造では量産できず、シウジアーロは、その改変に親身の協力をおしまなかった。

 いずれにしても当時のいすゞの設備と技術では美しいパネルのプレスもできず、細部のトリミングや穴あけを手作業で、またハンダを盛り、ヤスリがけをしながら仕上げて車を完成した。

 デザイナーも開発に参加したエンジンは、姿も美しく、直四DOHC・1584cc…レースでも活躍したように、高性能120馬力を絞り出していた。

 こうして市場に登場した117クーペは、いすゞが目論んだ企業と製品のイメージアップに成功するが、高品質と品格を備えていたのは72年までで、更に量産化を進めた117は、品質と品格が徐々に薄れていった。

 117が誕生した1968年は明治100年、戦後の貧乏から回復した経済は、イザナギ景気と呼ばれ、東洋一高い霞ヶ関ビル落成。三億円強奪事件が話題に、車ではシートベル着用義務化、交通反則金制度などが登場した。

 量産化で品格品質がうすれたとはいえ、抜群の容姿は人気があり、トータル8万5549台を売上げた。

 発売から10年がたった時点でも、98%が現役稼働というように、各オーナーは117を愛し、大切に乗りつづけていたのである。