「車もらっちゃったの」と級友小野澤忠男の妹が貰ってきた話を、2023年4月26日のブログに書いたことがある。

写真:貰ってきたフジキャビン#窓越しにハンドルが写っていない?/小野澤の勤務先銀座教文館ビル前で/左四六&右小野澤・右にルノー4CV。

 1955年発表時はメトロ125…フジキャビンは、1956年から57年迄、生産台数タッタ85台だったが、トヨタ博物館と日本自動車博物館で、現物を見ることができる。

写真:トヨタ博物館所蔵車/左にフライングフェザーの後部。

「FRP一体構造のモノッコックボディーは当時斬新で・・」とトヨタ博物館の解説者…「むかし乗ってました」で、話に花が咲いたことがあった。

写真:日本自動車博物館所蔵車&左フジキャビン/2ドア型・右モーガン三輪車/英。

 FRP一体型ボディーの世界初はロータスエリートと言う人が居るが、フジキャビンの誕生は、それより2年早い。

「展示車のステアリングは丸ハンドルだが私のプロトタイプは小型ヨットの舵のような棒だった」と話すと「それは知らなかった」と、博物館の解説者。

 棒=ティラーハンドルでは、敏感すぎて危険という運輸省の指摘で、市販時には変形丸ハンドルになっていた。

写真:変形丸ハンドル・異様に長いクラッチペダル?・座席右下にシフトレバー。

写真:ガスデンSA-1型・空冷単気筒2ストローク・125cc・5.5馬力。

 フジキャビンの開発は、富谷龍一だが、彼は戦前にダットサンをやった日産から、住之江織物に移籍して、日産片山豊主導でフライングフェザーを開発した。

 そして冨士自動車に移籍して”最大の仕事を最小の消費で”をコンセプトに開発したのが、フジキャビンだった。

 昭和30年=1955年頃は、スクーターや軽量バイクが庶民の足になっていた。

 そんな市場に{雨にも濡れず寒くない・ホコリかぶらずスクーター免許でOK}のキャッチフレーズで登場した…寒くないはいいが、通風悪く夏は暑かった。

 いまならさしずめエッグフォルムと自慢するところだが、当時既に空力に触れていたのはたしたもの…時速五〇粁以下では空力の影響はほぼないが。

 スリムなのに並列二座席は、助手席を200㎜後退させて実現した。

 エンジン始動はまさにスクーター…本来クラッチペダル位置の、異様に長いペダルを、勢いよく蹴飛ばすと始動した。

 変速が、これまた傑作…運転席右下のレバーが、前後一直線で手前から前方に、R・N・1・2・3で、レバーを左に倒すとクラッチが切れ、徐々に右に戻すと、半クラッチで繋がるという仕掛けだった。

写真:昔書いたイラストのシフトパターンは逆方向。

 WB2200㎜・全長2950x全幅1270x全高1285㎜・最高速度60粁。試作車&初期モデルは左1枚ドアだったが、途中から2ドアになり、車重が140kgから150kgになった。

 操安性に関しては、問題外で、棒ハンドルでダイレクトに前輪を動かすのだから敏感で、馴れないうちは、直進すらむずかしかった…丸ハンドルには乗っていない。

 が、馴れると面白くなり、急ハンドルを切り片輪持ちあがったところで、タイミング良くとめてやれば、二輪走行で、歩道からの拍手が嬉しかった。

 そして、ガールハンとにも、大活躍…当時の若い女達は、車なら何でも良くて、すぐに乗ってくれたのだ。