自動車と飛行機の発動機開発は、別々だった…が、流用はある、本田宗一郎の競争自動車は、米国のカーチス製飛行機用発動機なので、カーチス号と呼んだ。

写真:ホンダ・カーチス号&エンジン/バルブスプリングやロカーアームがムキ出しだ。。

 自作飛行機で、茅ヶ崎から大島まで飛んだ、群馬館林の大西勇のは、スバルの水平対向だった…欧米では、車用の転用は日常茶飯事で、VWビートルなど、改造販売している。

写真:大島へ飛行中のスバルプレーン&機体とエンジンと秋川リサ・機体は複座練習機ー萩原式セカンダリーH-24型と思われる/群馬館林大西飛行場?。

 さて、飛行機用発動機があったのに、ライトは自動車用・直四12馬力を改造使用した…理由は簡単。マンリー水冷星形五気筒52馬力を、売ってくれなかったからだ。

写真:ライト機/スミソニアン博物館。

 マンリーは、ライトより早く飛びそうなラングレイの方を優先したのだ…もし、ライトに売っていれば、後世に名を残し、商売に繋がっただろうが、これもウンである。

 そのラングレイ機は、ライトより二ヶ月早く飛行準備完了…ポトマック河上に浮かぶ、ハウスボートの屋根にカタパルト、というユニークなものだった。

 結果は、川に突っ込んで失敗…マンリーがライトに発動機を売っていれば?ラングレイが陸上機だったら?…航空史は変わっていただろう。

 ラングレイの機体は、1913年に、カーチスがフロートを付けたら、水上からの飛行に成功している。

 さて、ライトが初飛行に成功しても、フランス人は認めなかった。

 熱気球、飛行船、パラシュートなど、それまでは、飛ぶにしろ、落ちるにしろ、世界初はフランスだったから、プライドが許さなかったようだ。

 自動車も含めて、世界の最先端技術は、パリを中心に動いていると、自負していたようだ。

 で、ライトの世界初が成功すると、新聞は「ライトの飛行機はカナールだ」と報道した。

 カナールとは鴨のこと…ライト機は先尾翼型だから、分類はカナールだが、報道には裏の含みがあったようだ。

 フランス語でカナールとは、インチキとか、ガセネタという意味もあると聞く…フランス人の報道には、裏の意味があったのだろう。

 気位が高いフランス人、いやパリジャンは、移民の国と馬鹿にする米国、しかもド田舎で「飛行機が飛んというがマユツバだよ」とでも、言いたげなのだ…感情的に許せなかったのだろう。

写真:フランスで飛行準備中のライト機。

 が「アメリカ人はカッペじゃないぞ」とばかりに、ライトは、1908年に、フランスでデモ飛行に成功したから、フランス人も認めざるを得なかっただろう。

 この時代のライト機の発動機は、3941cc・39馬力/1600回転という性能になり、パワーアップによるライト機の性能、操縦性は、さらに向上していたと思われる。