1970代後半、スズキ、いや軽自動車市場全体が低迷していた…で“なんとか”と、立ちあがったのが、就任後間もない鈴木修社長だった。

 市場調査の結果:軽の日常は一人か二人・新車は売れないが、安い中古市場は盛況だから、需要はあると判断した。

 で、新車でも格安ならば、売れるはず…安い軽を開発しようと決断した。

 で、物品税が15%の乗用車ではなく、非課税の商用車=商用バンをと考えた…こいつは、税法の盲点を突く、アイディアだった。

 軽のユーザーは裕福でない人達なのに、商用バンは見栄えが悪い、と二の足を踏む…で、こよなく乗用車らしい、軽バンの開発を目論んだのである。

 まず、販売価格45万円を目標に、徹底的にコストダウンを追求した。

 大型プレスでボディーパネル数を減らす・安い単価のグレー塗装の鉄板プレスバンパー・見栄え悪いゴム製床マット・ヘッドレスト一体型シート・後席シートの背板はベニヤ板で。

 リアハッチの蝶番は外付け・内張をはぶき極力鉄板に塗装・ダッシュボード&インパネは単価が安い樹脂・ウオッシャーはゴム製手押しポンプ。

 ドアは二枚で、ドアロックは運転席側だけ・標準装備はヒーターのみで、あとはディーラーオプションという徹底ぶりだった。

 また、排ガス規制がゆるやかな商用バンは、スズキ得意の、2サイクルエンジンが使えた。

 乾いたタオルを絞るような徹底的努力+非課税という商用バンは、目標の45万円達成を果たせなかったが、47万円だった…当時軽の新車価格は、60万円越えだった。

 発表された初代アルトは、スマートなフロントグリルや前席周りが、乗用車の雰囲気で、外見はオシャレな軽乗用車だった。

写真:上級軽フロンテを連想する姿は商用バンのイメージではない/調布飛行場で。

 結果、花は見事に咲いた…販売目標5000台は、直後に1万8000台を超え、受注残を抱える、空前のヒットなった。

 こいつは、スズキだけではなく、二匹目のドジョウ狙いの軽メーカー各社もうるおい、低迷していた軽市場の復活劇にもつながったのである。