1970年代、イタリアを代表する自動車メーカーのフィアットは、業績不振だった。

 それで、経営トップのアニリエリは、業績回復のために、外部からベネデッティを招請した。

 ベネデッティが、フィアットに来て打った手は、車種の整理と廉価版の開発だった。

 その廉価版の開発を請け負ったのが、ジウジアーロだった…彼は、いすゞ117,スズキ・フロンテクーペ、マーチ、カローラ、ニコンなどで、日本ではお馴染みのデザイナー。初代ゴルフのデザインも彼だった。

 ちなみに、ジウジアーロをニコンに紹介したのは、写真家・j評論家でお馴染みの、三本和彦だった。

 

 フィアットからの注文は”フランス車のイメージ”で、というものだったが、それをジウジアーロは、シトロエン2CVと受け止めた。

 で、1980年に誕生した車は、パイプフレームのハンモックシート。樹脂部分が素材の黒色のまんま。白黒対比の可愛い姿から、パンダの名が生まれた。

 その車、開発当初の名前は、ジンゴだった…が、ルノーから、トゥインゴに似た発音とのクレームで、没になるといういきさつがあった。

 誕生当時の顔は、左右非対称だった…国内用が空冷二気筒652ccで、輸出用が903ccだった。

 1982年になると、直四842ccに進化して、DX仕様は鉄板だったグリルが樹脂製になり、左右対称となる。

 1983年、四輪駆動=4X4が追加されるが、こいつは横置きエンジンのFWDとしては、世界初だった。

 そんな初代は、23年という長寿名を経て、2003年に二代目に進化し、2011年に三代目へと成長した。

 初代は、簡素な構造と廉価から{イタリアのサンダル}と呼ばれたが、成長した三代目は、もうサンダルではなく、オシャレな靴になっていた。

写真:三代目パンダ/銚子漁港で。

 その三代目パンダを試乗したことがある。

 初代の角張った姿は、角が取れた可愛い姿に。車体は小柄でも、高い車高で、思いのほか室内にはゆとりがあった。

 二気筒875ccはターボで85馬力だが、ECOスイッチで77馬力になり、燃費を稼ぐ…その燃費は、ECOでなく、ターボモードで17.9km/ℓだったから、10年前としては、優秀だった。

 可愛いパンダ、想い出深いパンダは、2023年をもって、消えていった。