トヨタのクラシックを知っている人は、少なかろう…走っている姿を見た人は更に少なく、乗った人は滅多にいないだろう。

 現在、自民党の長期政権に嫌けがさしている人は多かろう…で、1996年「何とかなるかな?」という国民の、はかない希望で、社会党村山首相と内閣が誕生した。

 が「やっぱり駄目か」と、自民党に政権は戻ってしまったが、そんな平成8年=1996年、トヨタから登場したのが、クラシックだった。

 それは、トヨタの乗用車生産、60年周年という、記念行事だった。

 クラシックは、手造り生産で限定100台…800万円という高価格だから、見たことがないのも当然である。

 クラシックは、60年前の昭和11年=1936年発売の、トヨダAA型四ドア大型乗用車の、イメージ復刻だった。

 ハイラックスがベースだったと記憶するが、その割には、乗り心地がよい仕上がりだった。

 

 関東大震災の後、日本で乗用車の需要が増えると見込み、いち早くフォードとGMが日本に工場建設…フォードとシボレーの量産開始で、日本市場は、両車独占状態となった。

 こいつは、軍国主義進行中の国策としては面白くない…で、これに応えたのが日産とトヨタで、相次いで乗用車を完成、発売した。

 

 トヨダAA型の値段は、3685円…当時ガソリン13銭/ℓ、大卒初任給70円の頃だった。

 豊田喜一郎主導でAAが完成発売すると、豊田自動織機から分離独立して、トタタ自動車(株)が誕生した。

 で、AA型は国産トヨダ大衆車の名乗は、三ヶ月で、ダから {  ゛}が取れて、トヨタが正式名称になった。

 開発はシボレーの解体調査からだが、最難関は発動機だったと聞く…スタイリングは、当時最先端の流線型で、クライスラー・デソートのエアフロー型がモデルだった。

写真:デソートと豊田佐吉旧宅前のAA型復元車。

 AA型乗用車は、昭和18年=1943年迄に1404台が出荷されたが、国策どうりに派生した、トラックやバスが、戦時中活躍した。

 また、軍の指揮官車として働いたのは、オープンの四ドア・フェートンだった。

 AAの諸元:全長4785x全幅1730㎜・車重1500kg・直六OHV・3389cc・65馬力・3MT・最高速度110粁で、油圧ブレーキが斬新だった。

 クラシック:全長4885x全幅1735㎜・車重1480kg・直四・2ℓ・97馬力・4AT。

 

 トヨダAA型誕生の1936年には、ヒトラーがVWの計画を発表、ベルリン五輪開催。日本では木炭自動車が登場した頃だった。