「儲からなくていい自動車屋にはスポーツカーが必要」とは、米国自動車殿堂入り、元米国日産社長・片山豊の持論…目的は企業のイメージアップだと、片山さんは言う。

 バブル最盛期の1991年、軽市場に登場したのが、ホンダ・ビート。次いでスズキ・カプチーノ。翌92年にはマツダAZ-1。

 一気に、軽市場にスポーツカーの花が咲いた…ダイハツもオープンのリーザスパイダーでオ茶を濁したが、こいつは不人気。売れたのは、三年間でたった380台…ボディー剛性不足、幌がバタつく、だいいち見た目が悪かった。

 ダイハツは、バブルがはじけた2002年に、満を持してコペンを発売した…KOPENの命名は当時の新宮会長で、軽=K+オープンだった。

 が、売りだすとKがCになり、Copenになっていた…そして二代目になると、さらにCOPENになった。

 二代目は骨格が斬新…前後部一体構造で強剛性…外板に強度が不要だから、造形が自由で、プラスチックなどで、バリエーション展開が容易だった。

 曲げ剛性3倍、ねじれ剛性1.5倍もの強化骨格で、走りのフィールは初代より大幅に向上。それがオープン時にも変わらないのだから、鬼に金棒である。

 

 初代で登場した、軽自動車初の電動油圧開閉トップは、当時はベンツやソアラなど、高級車に使われる仕掛けだった。

 DOHCインタークーラーターボで64馬力は変わらずだが、初代の四気筒が、二代目では三気筒になり、トルク感の向上で走りやすくなった。

 上級グレードでは、ビルシュタインダンパー+MOMOハンドル+RECAROシート+BBSホイールと、贅をつくしたグレードもあった。

 5MTもあるが、試乗は七速CVTでパドルシフト付…外見小柄だが、フィット感優れるシート、MOMOのハンドルを握る と、小さな車という感覚が消えてしまうから不思議だった。

 乗り味は硬めだが、しなやかなダンパー特性で、凹凸の吸収性良好。ホイールベース中心あたりの着座で、前後荷重バランスが良く、高速や曲折路の安心感も高く、実際に四輪の食いつきは強かだった。

 オープン時の風の捲き込み少なく、ドアガラスを上げれば、冬は暖房強、夏は冷房強で、オープンエアモータリングが快適に楽しめると、試乗記に書いている。

 

 初代、二代目共に試乗の到着地は、千葉大原だった…で、実走燃費が、初代10.9km/ℓで、二代目が19.0km/ℓ…わずか12年ほどだが、進歩は大したものである。

 月産500台、海外輸出もした初代コペンの累計販売台数は、5万7993台…月産700台の二代目は、未だに売り上げを伸ばしているから、何処まで行くのか楽しみなことだ。