日本が戦争に負けたら、進駐軍がやってきた…その占領軍の連合国軍総司令部=GHQの命令で、大企業が分解された。財閥解体令である。

 で、三菱もコマ切れになったが、その一つが、戦後の物流で活躍する三輪貨物自動車を造り、やがて自動車も、と完成したのが三菱500だった。

 その500、どこかで見たような、と思ったら、同じ敗戦国ドイツの軽自動車、グラース社のゴッゴモービルにそっくりだった。

 もっとも、三菱はじめての四輪車を、ゴッゴモービル400を参考にしたと正直だったが。

 同じように、ドイツのロイトを参考にしたスズライトフロンテ。ドイツのDKWを参考にしたサーブなど、同様な例は多々ある。

写真:ロイトLP400とスズライトフロンテ/前プロトタイプ後市販車。

 ゴッゴモービルのメーカー、ハンス・グラース社は、歴史ある農機具メーカーで、自動車に興味を持った最初の作品が、1951年登場のスクーター、ゴッゴローラーだった。

 三菱最初の自動車は、富士重のラビットと天下を二分する、スクーターのシルバーピジョン…スクーターから四輪車えという流れは、偶然とはいえ、グラース社と似ている。

 ゴッゴモービルの誕生は1955年…直列二気筒2ストロークを後部に搭載するRR型=後エンジン/後輪駆動で、250、300,400と3形式があり、売れ筋がT400と呼ぶ、392cc・20馬力だった。

 敗戦国らしく戦後のドイツには、多くの軽自動車が誕生した中で、ゴッゴモービルが誕生したのは1955年だった。

 その頃のドイツ軽自動車市場は激戦区で、ライバルは、メッサーシュミット、マイコ500、NSUプリンツ、BMWイセッタ、ロイド、ツンダップヤヌス、ハインケルなど、雨後の筍のようだった。

写真:メッサーシュミットとマイコ500。

写真:NSUプリンツⅢ/独ランゲンブルグ博物館で。

 その中で、ゴッゴモービルT400は、年間販売台数が、4万3000台というから、人気のほどが伺えようというものである。

 ゴッゴモービルのTシリーズは、その後も発展を続けて、1ℓから、2.6ℓへと成長する。

 そして、美しい二座席クーペ1300GT(75馬力と100馬力)、1965年には、T2600=2.6ℓのV型八気筒も登場した。

 が、ドイツの復興が進み、経済が正常に戻るにしたがい、グラース社の経営が厳しくなった。

 で、助けを求めた先がBMWだった…BMWも軽から脱皮して、1500セダンになったばかりの時代だったから、経営にゆとりがなかったが、同じバイエルン仲間という連帯感があったのだろうか、1966年に吸収合併した。

写真:1500セダン登場前主力商品のBMWイセッタ。

 で、流麗な姿の1700GTに、BMWのエンジンを搭載して生まれたのが、BMW1700GT…市場ではグラースBMWと呼んだ。

 BMWがゴッゴモービルを買収したときに、イタリアのカロッツェリア・フルアがデザインした、美しい1700セダンがあった。

 その車のエキステリアを、BMWらしく手直しして、1973年に発売した…それが1972年登場の5シリーズの源流になったようだ。

 そして、BMWが引きついだゴッゴモービルの名は、1969年に、その名を冠した最後の車の生産中止で、市場から消えていった。