子供の頃ラーメンというものはなかった…支那料理店でも、チャルメラ吹いてくる屋台の夜鳴きソバ屋でも、食べたのは支那ソバだった。

 ラーメンという言葉が何時頃登場したのかは、記憶にないが、大学の学食ではラーメンがあった…昭和30年頃で、もりそば25円の頃、30円と少し贅沢な食べ物だった。

 支那ソバ時代から、この手のソバは、連続した赤四角なウズが縁取りする丼に入っていた。

写真:昔風支那ソバ/昔の丼はもっとドぎつくチャーシューは赤く縁取りされメンマが真っ赤だった・写真は生涯旅人という方のブログから引用させて頂きました・無断借用御容赦を。

 当時の支那ソバは、ナルトと食紅で染めたチャーシューとメンマと海苔が入っていた…麺はカン水入りの、黄色っぽい縮れ麺が多かった。

 多分昭和40年頃と思うが、発がん性に恐れありと食紅が禁止されて、以来ラーメンから赤色が消え、赤色は丼だけになった…それも最近では滅多にお目にかかれないが。

 

 支那ソバもラーメンも、昔は醬油ベースだから、スープはどれも、そんな色だった…ちかごろは、スープで勝負というような風潮になり、スープの材料と色も多種多様になった。

 煮干し、蛤、蜆、豚、鶏、その他モロモロだが、東銀座3丁目の紫龍は、豚骨とモミジがスープのベースだという。

 私が紫龍を訪ねた切っかけは、TVで歌舞伎役者・中村七之助が旨いというので…若い芸能人の旨いは、あてにならぬことしばしばだが、歌舞伎役者は信用できるからだ。

 紫龍は、土地の値段がバカ高い銀座で、平屋建てという、珍しい建物で商いをしている。

 超強火で煮出すという、ゲンコツとモミジのスープは、臭みもクセもなく、なかなか旨い…小麦の殻も練りこんだという麺に、良くからむ。

 メニューは種々あるが、初めは紫龍ラーメンからだろう…今どき銀座で1000円以下というのも嬉しい。

 トッピングは10種類くらい有るようだが、紫龍ラーメンなら三種類が選べる…ランチ時は、ライス追加無料だというが、炭水化物ひかえめの老人には無用なこと。

写真:上質な木耳と珍しいブロック状チャーシュー。

 中村七之助は、中村勘三郎の次男で、長男が勘九郎だから、歌舞伎界では名門の御曹司だ。

 歌舞伎役者は若い頃から、一流芸能人や上位力士なども、ごひいき筋との一流料理の経験豊富だから舌がこえている…で食いしん坊の探索には、信用できるガイドなのだ。