世界中どこでも、戦争が始まれば、自動車メーカーは、兵器生産の重要拠点となる。

 WWⅡ中の米国では、GMやクライスラーと共に、フォードも、大メーカーらしく、多種多様な兵器を、戦場に送りだした。

写真:フォードが製造の兵器群:下・戦時中の広告。

 有名なジープは、WWⅡ中に46万台も生産されたが、開発したウイリスより、フォードの方が生産量が多かった…開発した三菱より中島の方が多い、ゼロ戦に似ている。

 ジープの他、航空発動機、機関銃、水陸両用車、戦車、グライダーから爆撃機、その他諸々で、貢献した。

 

 その爆撃機で有名なのが、ノースアメリカンB25ミッチェル…ノースアメリカン=開発会社名。B=爆撃機の識別記号。25=米軍の型式名。ミッチェル=1920年代の名将・ジェネラル.W・ビリー・ミッチェルを偲んで。

全長16.1米x全幅20.6米・ライトサイクロン空冷星形1700馬力x2=3400馬力・最高速度438粁・航続距離2175粁・乗員6名・爆弾搭載量1360kg・12.7㎜機関銃x12。

 

 このB25は、日本には憎らしい爆撃機だ…勝った勝ったと、連戦連勝報道に湧く日本に、突然飛来して、爆弾を投下したからだ…昭和17年=1942年4月18日だった。

 日本の連勝は、米国では連敗だから、米国民は悔しがり、国中が意気消沈としていた…そんなムードを吹き飛ばそうとの思いが、日本空襲だった。

 日本の東方1300粁、太平洋上の空母ホーネットから飛びたったB25が16機・・・うち13機が昼時の東京=当時の帝都を急襲。途中2機が名古屋、1機が神戸え爆弾投下&機銃掃を加えながら、日本を縦断し、東支那海へ逃走した。

 向かう先は支那(中国)の米軍基地だが、燃料が切れて不時着、日本軍の捕虜になった兵士も居た。

 わずか16機の爆弾では、日本の被害は少なかったが、米国の国威高揚という目的は、果たせたのである。

  この空襲は、ハリウッド映画にも…1945年、スペンサートレイシー主演のMGM{東京上空30秒}だった。

 映画では、空母発進が不可能な重い爆撃機を、どうやって空母から発艦させるかで、苦労していた。

 B25は、1938年に試作機完成の高速爆撃機で、開戦から終戦までの5年間で、1万1000機も戦場に送りだされた。

 主に欧州戦線で活躍し、英国やソ連にも貸与され、ドイツ爆撃に従事…で、ハリウッドでは、人気の爆撃機となった。

 ジョンウエインの{太平洋のツバサ}チャールトンヘストンの{ミッドウエイ}・スティーブマクイーンの{戦うツバサ}など、B25が主人公の、映画が数々。

 このB25は、フォードが大量生産した。もちろん発動機もだが、5000機目のB25にサインをする、フォード親子の写真がある。

 その工場は戦後不要になり、入札売却されたが、最初に落札したのが、戦後新登場のタッカーだったが、官民共同デトロイトの陰謀で、造船王カイザーに売られてしまった。

 この事件が無ければ、タッカーと呼ぶ、斬新な乗用車メーカーが、誕生していたのである。

 それはそれとして、ノースアメリカンB25ミッチェル爆撃機の日本空襲は、負け戦にいらだつ米国の国民感情が、日本打倒で盛り上がった、と戦後になって聞いた。

写真:チノ市の空港でB25を$800でレンタル飛行/右から砂原、筆者、鈴木五郎、中島。