このところ連日、羽田の事故報道で忙しい。

 で、思い出したのが、1982年=昭和57年2月9日のこと。

 東北地方の空撮仕事で、調布飛行場をセスナ182RGで離陸した…いつものことで、離陸直後に羽田管制塔の交信をモニターする。

 すると、何やら騒がしい…耳をそばだてると、JAL機の事故と判り、あわててフルパワーで急上昇…高度2000米ほどで羽田上空へ。

 すると、南からの滑走路=33Rの手前の海に、点々と並ぶ進入誘導灯に,JAL機が覆い被さるように、着水しているのが見えた。

 下には、新聞社のヘリが飛び交い、機体の周りには、小型の船が走り回っていた。

 主翼の上に大勢の人が居て、救助を待ち、その人達を乗せた小型船・漁船が飛行場を往復しているのが、手に取るように見えた。

 で、写真を撮り、そのまま仕事の空撮に出発した…その途中で撮った、浅間山の写真を一枚如何。

 数日すると、事故の詳細がわかってきた。

 事故発生は、午前8時43分。JAL機はダグラスDC-8-61/JA8061…乗員174名中・死亡24人/負傷149人。

写真:JAL機と同型機/日本航空機全集より。

 

 当日、福岡を出発したJAL機は、南から羽田に侵入し、後ひと息でタッチダウンという寸前、機長がスロットルレバーをアイドル位置にした。

 そして次の瞬間、2番、3番のエンジンを逆噴射した…そのとき副操縦士が叫んだ「機長やめて下さい」は、その年の流行語大賞になった。

 副操縦士は、操縦桿を力一杯引いたが、機長の押す力には勝てなかったという…当然、機体は着水するが、浅瀬で沈まなかったのが不幸中の幸いだった。

 原因は、機長の精神錯乱だった。

 

 羽田で写真を撮り、仕事に向かう飛行中「そうだ20年ほど前にも日本の空は飛行機事故が続いた」、と思いだした。

 昭和41年=1966年、羽田を離陸、香港に向かうBOAC=英国海外航空のボーイング707は、大島経由のIFR=計器飛行計画をキャンセル、VFR=有視界飛行に切り替えた。

 日本を去る観光客に、富士山を見せようとの、機長の親切からだった…が、これが裏目にでた。

 約4500米で富士山に近づき、客が喜んでいると、突然の突風で空中分解、全員死亡した。

 富士山近辺は、乱気流発生が恐いので、日本人パイロットは近づかない…自衛隊のF86戦闘機の翼にシワが寄ったと、F86のパイロットだった親友小野澤忠男が言っていた。

 

 実は、その前日、羽田では香港からのカナダ航空のDC-8が、霧のため着陸に失敗・炎上…8名が助かり、64名が犠牲になったばかりだった。

 それだけではない。その年の2月4日には、札幌雪祭りからの客を乗せた全日空機が、東京湾に墜落したのが、連続事故の始まりだった。

 8月26日には、JALのコンベア880が、羽田を離陸中に滑走路から飛びだして大破…これは機長昇格試験中で、乗客はいなかった。

 さらに、11月13日、松山沖に全日空YS-11が墜落、50人全員が死亡した。

 「何故か事故というのは続くんだよ」と、古老から聞いたことがあるが、今年は元旦から、地震、羽田と事故が続いている…アトを引かなければ良いがと、祈っている。