1999年のデトロイト自動車ショーで、1台の車が注目を浴びていた…クライスラー社の、PTクルーザーだった。

 第33回東京モーターショーでは、テリー伊藤がTV取材をしていた…そして日本発売は、翌2000年だった。

 PT=パーソナル・トランスポテイションとは、宣伝マンの説明では、本来は開発コード名だったらしい。

写真:九十九里大原漁港で。

 デザイナーのB.ロネスビットは、1930年代初頭、流線型のハシリとなったクライスラー・エアフロー車をイメージしたと言う。

 またク社の宣伝マンは、前下がりの姿を「ホットロッドのイメージ」と、やたら連発していた。

 ホットロッドとは、おもに1020年代・30年代のフォードT型やA型をベースに、スーパーチャージャーなどで馬鹿力を出し、ブッ太い後輪、細い前輪で姿は前下がり、という改造車である。

 屋根を切り取ったのをホットロードスター。ボンネットなしで、エンジンむき出しがホットプッシュロッドだと、進駐軍の兵隊が言っていた。

写真:両側四気筒分の排気ストレイトパイプを突きだし、ジャドソンのスーパーチャージャーとホーリーのキャブレターでパワーアップが定番だった。

 かつて強き米国の象徴だったV型八気筒を、自慢げに誇示したかったのだろう。

 また、どうやって乗るの?というほどに、屋根を低めたヤツもある…チョップトップと呼ぶ…それで歩道からの視線を楽しんでいる奴もいた。 写真:ミニのチョップトップ。

 ホットロッド?「何のこっちゃ」と言う人もいるだろう…昔ジェームス・ディーンの映画{理由なき反抗}を見たオジンなら想いだすだろう。

 元気なアンチャン達が、交差点グランプリ…一歩間違えば命取りというチキンレースは、強がる若者の意地の張り合いだった。

 もっとも、自分だけの独自な姿を楽しみ、古い車なのに、ヒト鞭あてれば韋駄天走りというのを、楽しむ真面目な大人達も居るが…いずれにしても米国の車文化である。

 さてPTクルーザーは、日本車キラーとして開発された、ク社のネオンをベースに開発されたから、大きな車ではない。

写真:PTクルーザーと筆者/阿蘇で試乗中・下ネオン/小田原漁港。

 ネオンは、全長4288x全幅1704㎜だから、あと5㎜細ければ5ナンバー登録だったのに、と惜しんだ…2ℓ・140馬力で、過不足なく走ったが、欲を言えば、モ少しパワーが、と思った。

 PTクルーザーは、後席を畳んだりしての、使い勝手の良さなど、優れた面も持ち合わせていた。

 また、京成電鉄系列の舞浜タクシーが、10台ほどを、ディズニーランド周辺で走らせた…目立つので客づきは良かったらしいが、過酷な日本的タクシー使用では強度が足りず、7年ほどで姿を消してしまった。