メルセデスベンツだから、メルセデスがベンツの商標だと思っている人が多いが、実はダイムラーの商標だったのだ。

 さて、史上初の自動車完成はベンツだが、史上初の内燃機関=ガソリンエンジン完成はダイムラーである。

 ダイムラーは、1834年生まれのパン屋の息子…幼小から機械が好きで、1856年、22才で蒸気機関製造会社の工場長になる。

 が、将来は内燃機関の時代になると、登場したばかりのガスエンジンに注目した…ガスエンジンとは、都市ガスを利用する内燃機関である。

 ある日、ダイムラーに倒産会社再建の依頼が来た。そこで出合ったのがW.マイバッハだった。

 やがて、ダイムラーは独立して、内燃機開発を始めるが、助手として卓越した手腕を発揮したのがマイバッハで、小型高速内燃機関の開発に成功する。

 同じ頃、少し離れたといっても面識はまるでないが、C.ベンツも内燃機関を開発していたが、ダイムラーの方が、半年程早く完成した。

 が、二人の開発目標は異なり、ベンツは自動車を走らせるため。ダイムラーは、陸海空もと、欲張っていた。

 だから、ダイムラーは、陸・海・空を視野に入れた紋章、スリーポインテッドスターを作ったという…が、やがて二社が合併して、スターはベンツのエンブレムになった。

 ダイムラーは、完成した単気筒0.5馬力で、二輪車をつくった…目的は走れるか?だから、急造した史上初のオートバイは、木製だった。

写真:ダイムラーの木製二輪車と最初の四輪車ー1886年

 一方、ベンツの乗用車も完成して、特許を取り、史上初の内燃機搭載の自動車となる。

 1889年、ダイムラーはV二気筒を完成…パリ博に出品するも、素通りする客が多い中、パナールとルバッソール、そしてプジョーが目を付けた。

 彼らはすぐに、自動車を完成して、売り出した…で、フランスは20世紀初頭、世界一の自動車生産国になる。

 ということで「自動車の発明はドイツだが・育てたのはフランスだ」と胸を張るのだ。

 善悪はともかく、人は、すぐにどっちが高い、長い、早いと比較をしたがる…ある所に小高い丘があったそうだ。だれかが「何分で頂上まで」とうそぶくと、それを破る者が出てくる。

 で、競争が始まった。そんなヤカラの一人、ポーランド貴族のイエリネックが、ダレよりも早い車をと、ダイムラーに注文した。

 マイバッハが完成した車は、たしかに速かった…ご機嫌のイエリネックは、同じ車を、と何拾台かまとめて発注し、その販売権を得た。

写真:ダイムラーメルセデス1901年とメルセデスー1903年

 が、イエリネックは、ダイムラーでは印象が硬いから、と愛娘の名メルセデスをネーミングに売りだし、成功する。

 が、1900年に、ダイムラーが早逝して、経営がマイバッハの手に移る…両社成長しながら、1926年に合併するが、資本比率が2:1で、ダイムラーがベンツを吸収した形となった。

 で、誕生したダイムラーベンツ社では、乗用車をメルセデスベンツと呼ぶことになる。

 が、技術の天才マイバッハは、C.ベンツと折り合いが悪く、身をひき新会社を作り、飛行船ツェッペリンにエンジンを供給することになる…そして、高級車マイバッハが、やがて登場することになる。。