BMWそもその始まりは発動機屋で、1916年、WWⅠ最中に産声を上げた。とうぜん軍用機用で、撃墜王リヒトホーフェン男爵は、愛機フォッカー戦闘機にはダイムラーより馬力が強いBMWを好んだと聞く。

写真:撃墜王リヒトホーフェン男爵の愛機フォッカーDr-Ⅲ/機体が赤だったのでレッドバロンと呼ばれた。

 

 WWⅠではドイツ相手に英国が画期的兵器を投入した。鉄条網も機関銃も何のその、鉄壁のドイツ軍前線を簡単に突破したのが、タンク=戦車だった。

 英軍は、戦場に着くまで戦車と判らぬようにと、送り状に水槽=タンクと書いた…で、戦車をタンクと呼ぶようになった。

 この戦車の活躍にヒラメイタ有名宝飾屋がパリにいて、姿をヒントに時計を売り出した…それが今では定番商品となった、カルティエ・タンクである。

写真:今でもカルティエのカタログに載り売り続けられている定番商品タンク/キャタピラーの間に時計が

 

 ドイツのWWⅠ敗戦で兵器不要になったBMWは、オートバイから自動車メーカーへと転身するが、WWⅡ突入で再び航空発動機製造に戻り、大活躍するのだが、ジェットエンジンの開発に成功する。

写真:戦場投入世界初ジェット戦闘機はメッサーシュミット

/英RAF博物館で

 

 戦場投入史上初ジェット戦闘機はメッサーシュミットで、二番手がBMW003E-1型搭載のハインケルHe-162だった。

  Jet推力800kg搭載、終戦までに250機生産された162は、最高速度790粁・20㎜機関砲を二門搭載し、ボーイングB17爆撃機迎撃に活躍した。

写真:ハインケルHe-162フォルクスイエーガー・ジェット戦闘機/英ダクスフォード博物館で

 

 162の開発コンセプトは速成少年飛行兵用…で、フォルクスイエーガー=国民戦闘機と呼んだが、操縦が難しく、ベテランでないと乗りこなせなかったようだ。

 BMW003は、1944年日本海軍イ号潜水艦で日本に向かうが、途中で行方不明、別のイ号で運んだキャビネ判の断面図だけが日本に届いた…それを参考に日本製ジェットエンジンを開発したのが、後にF-1監督で知られる、ホンダの中村良夫だった。