梁山泊=リョウザンパクとは、中国著名小説・水滸伝で山東省梁山に108人の豪傑が集まった古事にちなみ、強者共が集まる所、という意味が生まれた。

 1955年から外車が輸入禁止になり、セコハン時代が始まると、いつのまにか赤坂界隈はセコハン業者の梁山泊となった。資本力があり英語が達者な業者、右から左えと車を転売する中小業者。その間を泳ぎを廻る一匹狼のブローカー。ブローカーにも一流企業や役所が得意先、また安物専門と、いろんな狼がいた。

 もちろん、ヤナセやニューエンパイヤーモータース、日英自動車、伊藤忠自動車、安全自動車、八州自動車、国際自動車、日本自動車、東邦モータース、三和自動車など、正規輸入代理店も一流セコハン業者だった。

 さて1952年から54年迄の正規輸入時代、彼らは明朗会計だった。手元の日本自動車のフィアット1100Eの価格表には、現地価格$1960+輸入経費$584.91+税金$409.44=$2954.35=106万3566円也と記されている。

 同じ頃、大洋自動車でシボレー約200万円、寺山自動車シトロエン2CV・83万円、黒崎内燃機ベンツ220S・230万円、ヤナセ・キャデラック350万円というように、納得適正価格だったが、セコハン時代突入で一気に高騰した。

写真:接収した大手町?の事務所に出勤した米軍兵士軍属の車・2年経つと通関してセコハン車に・パッカードとフォード・左端ビュイック・遠方シボレー。

 高騰の原因は、買った時より高く売れると知恵がついた兵隊達、高くても売れると知ったセコハン業者の相乗効果だった。

 が、兵隊達も高く売るための努力を惜しまなかった…新車が届くと、床のカーペットを外し、ホイールカバーやシガーライターも外して丁寧にトランクにしまう。傷が付かぬようステップにガムテープを貼る。アクセルやブレーキ、クラッチペダルにも貼り、新車のコンディションを保持するのだ。

 ワシントンハイツなどで日曜日に、身分不相応なキャデラックやリンカーンを、黒人家族が総出で洗車したり、ワックス掛けしたりと、それまでは見慣れぬ光景に出会ったものである。

写真:1954年型ポンティアック・スターチーフ直列八気筒AT。

 級友の西村家で1954年型ポンティアックの最上級スターチーフ直列八気筒AT車を買った。240万円と聞いた。

写真:虎ノ門金比羅大神宮前の新朝日自動車・GMポンティアック、独ボルグワルドの正規輸入代理店

 翌年、輸入元の新朝日自動車が高値で引き取った…何故?と思ったら、2ヶ月ほど経つとショールームに飾ってあり、積算計が8000キロほどに巻き戻されている。聞いてみると300万円を超える価格で「54年型最後の車で大陸横断でサンフランシスコから積み出したので積算計が廻っていますが」と説明された。

写真:1955年型ポンティアック/木下産商重役の車・築地から新大橋への市場通りは地下鉄日比谷線の工事中だった。。

 写真のポンティアック1955年型は、インドネシアのスカルノ大統領にデビ夫人を紹介したと噂の木下産商重役の車だが、550万円だったと運転手から聞いた。西村家の54年型が240万円だから、55年型も似たようなはずだが、それが57年には550万円。それも2年落ちのセコハンなのだから、開いた口が塞がらないとは、まさにことだった。