ププ姉妹には、タヒチ島の隣りにあるモーレア島で暮らすお兄さん一家がいました。
 
この家族はJWではありませんでしたが、ププ姉妹は私たちがこの美しい島で一泊できるようにお兄さんと連絡を取ってくれたのです。

 

確か定期船で1、2時間の距離だったと思います。

 

観光客もいましたが、主な乗客は買い出しを終えたモーレア島民のようでした。タヒチ本島の方が少し物価が安いようで、同行してくれたサラも砂糖を始めとする調味料をどっさり持たされていました。

 

 

島が近づいて来ると、誰からともなくモーレア島の歌を歌い始めて、最後は合唱になりました。

 

私は滞在中繰り返し聴いたこの歌を、今もうろ覚えの歌詞付きで歌えます。

 

モーレア、モーレア

 

アウア ティアレ ヒナノ ネヘネヘ・・・

 

この歌詞をアルファベットに直して試しにタヒチ語の自動翻訳にかけてみたら、何と次の英訳が出て来ました。

 

モーレア、モーレア

 

花で溢れる美しき楽園よ・・・

 

意味も分かっていなかったのに、そこそこ正確に覚えていた事に驚きました。

よっぽど印象が強かったのでしょう。

 

 

ププ姉妹のお兄さんが大きなトラックで迎えに来てくれたので、全員で荷台に乗り込みました。

 

 

海岸に沿って真っ直ぐ続く一本道の両側は見渡す限りのココナツ農場でした。お兄さんはこの広大な農場の経営者だったのです。

 

 

やっと到着した家は高床式の、タヒチ風の伝統的な造りでした。個室は無く、ちょっとした体育館のような広間が家族の居住空間です。

 

この広間に泊まっても良いし、砂浜で眠るのも悪くないという事だったので、迷わず砂浜を選びました。

 

日中何をして過ごしたのか、もう40年位昔の事なので全く思い出す事ができません。この海岸でのお泊りがあまりにも印象的だったせいもあります。

 

 

夕食はみんなで焚き火を囲んで魚介のスープをバゲットで頂きました。

 

 

夕映えと入れ代わるように満天の星空が頭上に広がり、流木を焚き火に投げ込んだ時に舞い上がる火の粉が天の川と重なると、花火みたいでとても幻想的でした。

 

 

サラサラした柔らかい砂の上でパレオにくるまりながらだんだん眠くなって来ましたが、このまま目を閉じてしまうのがもったいない位の星空でした。

 

星明りに照らされた穏やかな海がザーンザーンと子守唄のような波を送ってくれて、さすがにウトウトし始めた時でした。

 

 

パキッ

 

ガサ…ガサリ

 

ゴソ…ゴソ

 

 

重量のありそうな生き物が近くの茂みでゆっくりと動き出しました。

 

 

何っ?!

 

 

私は驚いて飛び起きました。

 

 

「ノープロブレム 、ココナツ・クラブ」

 

 

サラが眠そうに言いました。

 

 

 

 

ココナツ…あっヤシガニ?!

え?なになに?

見たい!

ヤシガニ、どこ?どこ?

 

私が立ち上がるとピタッと気配が消えました。

茂みを一生懸命覗き込んでみてもシーンとして何も動いていません。

 

さすがに茂みの中に入り込むのは怖くてできなかったので、ヤシガニがいそうな方向を見ながら再び横になりましたが、結局その姿を目にする事なく朝までぐっすりと眠りに落ちてしまいました。

 

 

 

いつの間にかすっかり明るくなった頃、美味しそうなシーフードの香りで目覚めました。

 

朝ごはんのスープかな♪

 

と期待しながら起き上がった時、自分の目を疑いました。

 

何と、焚火をぐるりと取り囲むように、大人のこぶし大のヤシガニが真っ赤に調理された状態で湯気を上げています。

 

えっ?何これ

いつの間に捕まえたの?

 

サラに尋ねると、

 

「ヤシガニ、焚火、好き。自分で、来る。自分で、クックされる。」

 

 

という衝撃の答え。

 

 

カニが?

自分で、調理されに、来るの?!

 

何ここ、楽園?

 

あり得ない!すご過ぎる!!

 

 

クックされたヤシガニはサラのいとこたちに回収され、ココナッツソースをからめて朝食のおかずにされました。小ぶりのカニだったのでほんの一口でしたが、甘くてジューシーで本当に美味でした。

 

ヤシガニは成長しながらどんどん賢くなるので、大きな個体は焚火に飛び込むというヘマはしないのだそうです。

 

 

驚きの連続だったタヒチの旅も終わりに近付きました。

 

小さなタカラ貝をたくさん繋げた手作りのレイを、我々一家はいくつもいくつも首に掛けてもらいました。空港で見たリゾート客のレイとの落差は一目瞭然です。

 

私はサラとしっかりと抱き合いました。

寂しさの裏返しだったのか、私たちは最後の最後まで笑い転げては肩を叩き合ったものです。

 

 

日本に帰ってから間もなく、私は東京タワーの絵ハガキを選んでタヒチのサラに送りました。

おかしな東京タワーがあの美しい海といかにもミスマッチで、サラがどんな顔をするだろうと想像してはニヤニヤしてしまいました。

 

数週間…数か月…

 

返事はありませんでした。

 

返事を書くタイミングを逃してしまったのか、

返事を出したのに届かなかったのか、

もしかしたら東京タワーの絵ハガキ自体がどこかで迷子になって届かなかったのかもしれません。

 

私から再びサラに手紙を書くことはありませんでした。

そうする必要を感じなかったから。

 

まるで楽園そのもだったタヒチと、ゴミゴミした東京を結びつけること自体がとても不自然な感じがしたのです。

 

私と同じ名前の、同じ15歳だったサラ。

 

もしかしたら今頃たくさんの子供や孫に囲まれて
ププ姉妹と一緒に私たちの思い出話をしているのかもしれません。