前記事の続きです。
母の悪魔祓いの話はもちろん母が中心となって広めたので、あっという間に近隣の会衆のホットな話題となりました。
話を盛るのが大好きな母ですから、あること無い事、尾ひれに背びれが加わって、使徒の再来か聖書外伝に追加、はたまた母の名前が付いた奇跡の泉でも誕生しそうな勢いでした。
しかし、怖い話であることに変わりは無い。
現代のエクソシストが行なわれたという屋敷に誰が訪れたいと思うでしょうか。
毎日のように我が家に入り浸っていた信者たちはまるで潮が引くようにいなくなり、習い事教室さえも無期限のお休みに入ってしまいました。
今こそ大勢の信者たちとの交流を心の底から求めていた私ですが、その願いは叶わず、
人けの無くなった広い家で毎日怯えながら過ごしていました。
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ここで話はガラリと変わりますが、私の母は自身が画家だった関係で芸術関係の人達との付き合いがありました。そのうちの一人が彫刻家のマダムBです。
マダムはヨーロッパの自国に多数のブロンズ像や記念碑を立て、さらに国の記念コインなどをいくつも手掛けている、国を代表する芸術家の一人でした。
私たちがもっと幼かった時に母と一緒に彼女のアトリエを訪れた事があります。
温室のような明るく広いアトリエには不思議な物が所々に置かれ、まるで夢の国のようでした。
子供達が面白そうに散策する様子を目を細めて見ていたマダムが、ふと妹を呼び寄せて短時間でササっとスケッチをしてから特別な道具を取り出し、妹の頭部の測定をしました。
そして後日、母が受け取った包みを開けた時の感動を今でも覚えています。
素焼きのレンガ色のテラコッタで出来た原寸大の胸像は、キョトンとした幼い妹の表情を見事にとらえた素晴らしい作品に仕上がっていました。
もし我が家に「家宝」と呼べる物があるなら、世界に二つと無いこの彫刻が正しくそれでした。
いつも居間の特別な場所に飾られていた胸像は、我が家を訪れる人が必ず絶賛する自慢の家宝だったのです。
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ある昼下がり、私と母と妹の三人で昼食を取っていた時、母が突然ガタッと立ち上がりました。
立ち上がった勢いで椅子が後ろに倒れましたが、気にせず真っ直ぐ飾り棚の方に向かいました。
母は無言でテラコッタの彫刻を手に取るとそのまま開いていた窓に向かい、勢いを付けてそれをコンクリートの私道に叩きつけました。
カッシャーーン
乾いた音を立てて彫刻は木っ端みじんに割れました。
息を吞む私と妹。
勝利の表情の母。
しばらく流れる無言の時間。
「あの・・・どうしたの?」
「今この彫刻が人間の目でこっちを見たのよ」
「イヤーッ!やめてーっ!!」
私と妹は腰を抜かしました。
しかし、これだけでは終わりません。
別の日、3人で居間にいた時に母が突然、
「コラーーッ!!」
と怒鳴りながら階段の方へ突進し、ドカドカと二階に駆け上がって、
「出て行け~~っ!!」
と声を限りに叫びました。
「こ・・・今度は何?」
と聞くと、
「いま何かが階段にいたけど、
追い出してやったわ」
と得意げな母。
何かって、何?
母は悪魔祓いの真似事に成功して以来、
自分の超人的なパワーを使いたくてうずうずしていました。
出刃包丁を振り回しながら、
「泣ぐ子いねが」
「言うごど聞がね子いねが」
と家中を探し回るなまはげのように
悪霊のかすかな気配を常に探し回っていました。
こんな狂気の沙汰の母と一緒に暮らす私たちはたまったものではありません。
信者たちでさえ寄り付かなくなったこの家で過ごす時間は苦痛以外の何物でもなく、私は生まれて初めてJWの集会に出掛ける時間を心待ちにするようになりました。明るい蛍光灯の下、満席の王国会館に座っていると、その時だけは守られている感じがしました。
週に3回と言わず毎日でも、
何だったら
朝まで集会オールナイトでも大歓迎でした。
しかし、こんな気持ちの時ほどあっという間に時間は過ぎて、
ふたたび悪魔の棲む家に帰らなければいけないのです。
一番怖かったのはもちろん就寝時間です。
狭い中古マンションにいた頃は家族全員の寝息を聞きながら眠ることができました。
しかし、今度は古い木造の家なので窓枠が風でガタガタ鳴ったり、常にピシッとかミシッと物音が聞こえるのは普通のことでした。でも一連の恐怖が全身の細胞に浸み込んでしまった私にはそんな物音が全て魔物の足音に聞こえてしまうのです。
この恐怖を少しでも紛らわせるために私は自分の寝室に飼い犬と飼い猫を連れ込みました。
犬や猫が立てる物音が無ければ一人で眠ることは不可能でした。