今もそうですが、子供の頃の私はTVなどで報道される殺人事件のニュースを見聞きすると、特に被害者が子供だったりすると強い恐怖や悲しみ、怒りを感じました。

 

 

こんな事をする犯人は死刑なんかじゃ全然足りない!

 

 

もっとこう・・・

 

 

こう・・・

 

 

そう、あのハルマゲドンのさし絵みたいに天から火の玉が降って来て、地面がぱっくり割れて、その中に飲み込まれて、また地面が閉じてしまったらいい!

 

それくらいひどい事をしたんだから当然だ!

 

やるせない気持ちでその裁きの場面を想像した時、ふとある疑問が浮かびました。

 

今日来なければ明日にでも来ると昭和の時代から言われ続けていたハルマゲドンですが、この神の裁きの日に滅ぼされるのは、実は凶悪犯人だけではないのです。

 

なぜならハルマゲドンを生き延びることができるのは、エホバの証人と、エホバの証人が宣べ伝える「良いたより」に耳を傾ける人だけだから。

 

つまり「良いたより」に関心を示さなかったら豆腐屋のおじちゃんも、文具店のお婆ちゃんも、交番のおまわりさんも、そこの校庭で走り回る子供たちでさえ、ハルマゲドンが来たらこの殺人犯と全く同じ恐怖と痛みを味わいながら神の裁きを受けるのです。

 

 

???

 

 

それって、

 

 

 

ちょっと

 

 

 

おかしくない??

 

 

 

お母さんに聞いてみる事にしました。

 

 

「お母さん、どうして神の教えを信じなかったっていうだけで、エホバは何も悪い事をしていない普通の人たちもみんなハルマゲドンで滅ぼしちゃうの?」

 

普段はJWの教えに何の興味も持たない私が急にこんな質問をしたので母はちょっと嬉しそうでした。

彼女は動物好きの私の興味を引くためか、こんな例え話を始めました。

 

「もしも池の中でぷーちゃんと、知らない猫が溺れていたら、あなたはどっちを助ける?」

 

ぷーちゃんというのは私が可愛がっていたペットの黒猫プー子の事です。

 

 

「え?両方助けるよ?」 (変な質問!)

 

 

「違う違う。もし一匹だけしか助けられないとしたら?」

 

 

「う~ん、頑張れば2匹とも助けられるかもしれないから、やっぱりどっちも助ける!」

 

 

(ちょっと怒り気味に) 「違うの!一匹しか助けられないっていう風になってるの!!」

 

 

 

っていう風になってるって言われても。。。

 

 

 

う~んと

 

 

 

 

う~んと

 

 

 

 

 

 

。。。知らんがな。

 

 

 

 

あのさ、エホバって全知全能なんでしょ?

どんな事だってできるし、不可能は無いんでしょ?

私だったら2匹の猫と一緒に溺れて死んじゃうかもしれないけど、それでも助けに行くよ?

行きたいよ?

 

ぷーちゃんは懐いているから可愛いけど、だからってもう一匹の猫が死んでも仕方ないって思わないよ?

 

もう一匹の猫が私に噛み付いた事があったとしてもやっぱり助けたいよ?

 

どうしてエホバは自分を信じていないからって、それだけの事で、普通に生きている人たちを焼却炉に放り込むようなことができるの?

 

殺されるのって怖いよ?痛くて苦しいよ?

 

 

子供の私が、懐いていない猫の命を心配できるのに、

 

 

どうしてエホバは、人間の命を

そんな自分勝手な理由

滅ぼすことができるの???

 

やってることが、このニュースの

殺人鬼と変わらないじゃん!!!

 

 

さすがに当時の私にはそこまでの表現力はありませんでしたが、

この猫の例えでますますエホバという神様が分からなくなってしまったのは確かです。