私が子供だった昭和の時代はまだ全国で開催される大会の会場が少なく、大会に出席するために随分遠い地方から泊まり掛けでやって来る信者たちも少なくありませんでした。

 

そんな参加者の負担を軽くするため、会場近くの信者たちが無料で宿舎を提供する取り決めがありました。母も喜んで(子供たちに相談もせずに)子供部屋を宿舎として提供しました。

 

そんな形で知り合ったある長老一家の話を今回は書きます。

 

その家族は、こんな僻地があるのか!とびっくりするくらいアクセスの難しい田舎で宣教するために移住した神権家族(JW一家)です。ディープな田舎で奉仕していたので仮の苗字を奥村、とします。

奥村家には私と姉より1、2歳ほど年下の娘が二人いました。仮の名前は夏子と秋子。

二人はとても純粋で礼儀正しく、快活で明るい本当に魅力的な子供です。

皮肉屋で性格のひねくれた私や姉とは対照的でしたが、我々は出会った瞬間から意気投合してすぐに仲良しになりました。

奥村兄弟姉妹はどちらも背がすらっと高く美形で、聡明でありながら親しみやすく、子供達との関係も良好。

 

一言で言えば、大会の実演に出て来るような理想的なJW一家でした。

 

宿舎を提供していた大会の期間中、我々は家族ぐるみで一緒に過ごす時間やお喋りを大いに楽しみ、奥村家の田舎での冒険談や面白話に食い付きました。

 

「行ってみたいな~夏子ちゃんと秋子ちゃんの田舎、行ってみたぁ~い」と、私と姉は事あるごとに声を揃えました。そしてついに、私達は奥村家で夏休みを過ごすことを許されたのです!二人は飛び上がって喜びました。私の年齢は当時13歳前後だったと思います。

 

奥村家は古い田舎造りの家で暮らしていました。二間のふすまを取っ払った広々とした部屋が居間兼食堂兼寝室でした。夏子と秋子は楽しいことが大好きでしたが、とても真面目な子供でもあり、夏休みの宿題以外にも自主的に学習プログラムを工夫して実践していました。それだけでなく宗教活動にも熱心で、仕方なく合わせている私や姉と違って心から集会や奉仕を楽しんでおり、エホバを愛し信じていました。

 

大人はともかく、子供がこんなつまらない宗教を楽しむことができるんだと、ちょっと新鮮でした。

 

奥村兄弟姉妹も一般信者とは一味違う感じがしました。姉妹は美しく聡明で話す言葉に深みがあり、兄弟も霊性が高く優秀でしたが、一緒にいるとすごく楽しくいつも沢山笑わせてくれました。

娘たちとも良い関係を築いており、厳しいながらも理解のある両親という感じです。

 

我々4人の娘たちは一緒に笑い転げながら遊び回り、毎日これでもか!というほど夏休みを満喫していました。

 

奥村家の田舎はとても海が美しい地方でもあり、その日は兄弟と4人の娘たちで取っておきのビーチに泳ぎに行くことになっていました。奥村姉妹は宣教活動のため朝から出掛けていました。

兄弟が「水着に着替える場所、どうしたら良いかな・・・」と言いながら「そうだ!いい考えがある!」と、ふすまを3枚外してコの字型の更衣室を作ってくれました。田舎の家は不便なようでいて意外と便利なんだよね、と言いながら皆で笑いました。

 

「じゃあ最初はプー子ちゃん」と言われたので水着を持って中に入りました。

ふすまの間にできた隙間が気になったので直そうとしたら、

「あ、気を付けて。ふすまが倒れちゃうよ」

と兄弟。

それで隙間を直すのを止めて着替えようとした時、

 

あれ?見てる?

 

ほんの3メートルほどしか離れていない壁際に立って、兄弟が真っすぐこちらを見てる?

夏子、秋子と姉は部屋の反対側で楽しそうに遊んでいます。

 

もう一度隙間を直そうとした時、

「あ、倒れちゃうからいじらないで。大丈夫、倒れないようにここで見張ってるから」と兄弟。

 

何だ、倒れないように見張ってるだけだよね。長老兄弟が着替えを覗くわけないよね。

 

自分に言い聞かせますが心臓がドキドキして、頭が少しクラっとします。

なるべく隙間から離れようとしますが、何せ半畳ほどの更衣室、限界があります。

洋服で隠して着替えながら、そうだ、着替えが終わったら今兄弟が立っている壁際に行って、どれくらい中が見えるのか確認しようと思いました。

 

「次は夏子!」と兄弟が呼びかけたタイミングで壁際に行こうとしたその時、兄弟が

「あれ?ちょっとズレちゃったね。直しておこうね。」

と隙間をサッと直してしまいました。

 

え?何で?

さっきも隙間あったよ?何で?

 

でも・・・でも私がおかしいのかな。何でもない事をいやらしいことみたいに考える私がおかしいのかな?

私がおかしいのかな・・・?

 

気持ちがどんどん落ち込みます。

海に行ってもちっとも楽しくありません。

ご飯も美味しくない。

気持ち悪い。

気持ち悪い。

 

翌日、泣きそうな顔で姉に「もう東京に帰りたい」と言いました。

「え~何で~?」と姉は不満そうでしたが、ちょっとただ事ではない雰囲気を察したのか、残りの滞在を切り上げて帰ることにした、と兄弟姉妹に伝えてくれました。

 

夏子と秋子は急に私たちが帰ると言い出したのでショックを受けていました。

「もう少しここにいて、お願い!」

二人の気持ちを傷付けたくないと思いつつも私はプイっと横を向いたまま何も言うことができませんでした。

兄弟は、まるで田舎暮らしが肌に合わなかった都会っ子に言うような口調で、

「これに懲りずにまたおいで」

と優しく笑い掛けました。吐き気がしました。

 

帰りの道中、私はずっと寝た振りをしていました。

自分がおかしいと思っていたので、この出来事は恥ずかしくって誰にも話すことができませんでした。

 

そしてそれから数年後、母が深刻な表情で、

「今奥村姉妹から電話があってね、兄弟が排斥になったんだって」と言いました。

 

話を聞くと、兄弟は会衆の研究生だった若い人妻と駆け落ちのような形で離婚を要求してきたそうです。

「あの奥村兄弟がそんなことするなんて!信じられない!」

母はびっくりしていましたが、私は立派なJWになるために厳しくしつけられていた夏子と秋子を思って、奥村兄弟に対してものすごく腹が立ってきました。

あんな田舎でそんなスキャンダルを起こした上に、家族を見捨てるなんて!

そう、私はあの夏の日の出来事以来変なことを考えてしまった自分をずっと責め続けていましたが、兄弟に対して腹を立てる事が出来ていなかったのです。

 

だって兄弟は立派な長老だったから。

間違っているのはきっと私の方。

 

やっぱりそうだったんだ!と今まで封印していた夏の出来事を思い出しました。

 

そして大事な点に気付いたのです。

 

着替える場所が無いって兄弟言っていたけど、お風呂場は?お風呂場の脱衣所があったじゃん!

なんでわざわざ部屋の真ん中にあの変な更衣室を組み立てたの?

やっぱり兄弟じゃん!おかしかったのは兄弟の方じゃん!

 

ずっと無くしていていたパズルのピースがはまりました。

 

 

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最近話題になっているJWによる児童への性犯罪のニュースを、遠い外国の話だとかフェイクニュースだという声も聞きますが、日本のJWの中で子供時代を過ごした人たちの多くも性の対象として扱われた過去を持っていることがアメブロの体験を読むだけでも分かります。

 

JWは清い民、長老は霊性が高い、エホバが見ている、などなど子供たちはそれを真実として叩き込まれます。だからこそ自分が標的になった時、これはおかしいとすぐに声を上げる代わりに自分がおかしいんじゃないかと自分を責めてしまう傾向にあるんです。

なぜなら、こんな破廉恥な事をする人が立派なJWとして活動できる訳がないと信じているからです。そして犯罪者たちはこの子供たちの心理を巧みに利用します。

 

それだけでなくJW組織は内部の性犯罪が表沙汰になることを避けるため、被害を訴えてきた信者たちにこれらの問題を警察や裁判所に持ち込まないようにと長年求めてきました。

内部の問題を内部だけで無理やり処理しようとした結果、被害者の不当な排斥だけでなく、犯罪の再発、さらに被害者の自殺という取り返しのつかない二次災害を引き起こしてきたのです。

 

オーストラリアの公的な調査機関である「王立調査委員会」を始めとする各国の機関がこの問題を重く見て現在調査や裁判が続いていますが、JW組織は「過去にこのような問題があったため、今後信者たちの安全を守るために情報を開示して問題に真摯に取り組みます」的な事は一切言いません。

 

その代わり、いかにも善良な組織のように「性犯罪はすぐに警察に報告すべきです」と、過去には触れずにあたかもずっとそのように提案してきたかのような印象を信者たちに植え付けようとしています。

 

本当にJW組織が唯一神のご意思を正しく実践していると公言するなら、自分たちが傷付けてしまった、抹殺してしまった被害者から目を背けないで欲しい。そして現役信者たちの前で誠実に自分たちの間違いを認めて公の謝罪をして欲しい、心からそう願います。

 

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SNSで繋がっている友人が新年にシェアしてくれたアウシュヴィッツ・ビルケナウ基金の式典におけるメルケル首相の演説に、アウシュビッツから生還したノアー・フルグの次の言葉が引用されていました。

7:26の辺りです:

 

「思い出(記憶)は水のようなものだ。

思い出は生きるために欠かせないものであり、

思い出は新しい空間へ、

別の人間へと生き延びる道を模索していく。

思い出には賞味期限は無く、

思い出を決議で処理済みとか完了と宣言することはできない。」

 

メルケルは続けて言います:

加害者は多数の場所でその足跡を消そうと試みました。

(アウシュビッツという)土地そのものが犯罪の証明です。

この証拠は維持されて行かなければなりません。

 

戦時中に重い罪を犯してしまったドイツの代表者として、

決して終わることの無い責任があること、

そして起きてしまった犯罪を決して忘れてはいけない、

と繰り返す彼女の演説に深く考えさせられました。

 

演説のビデオ(約15分)

↓↓↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=vVuX99hwYnI&feature=share&fbclid=IwAR06H2Jcamk5BpT7KF-iK1vZahWiukFcRzE-6Ap2Xvu99xXBZ9vITHMNV_0