母の作る料理は良く言えば豪快、悪く言えば乱暴だ。

 

例えば野菜炒め。

 

→ 「そうだ、野菜炒め、作ろう」と思った瞬間に中華鍋をコンロに乗せ、強火にかける。

→ 野菜を取り出し、面倒なので厚めに切る。キャベツなら四等分すれば充分。その頃には中華鍋から煙が出ているので、炎よ静まれとばかりに切った野菜を投入。鍋の中で瞬時に焦げ付く野菜。

→ おっといけねぇ、食用油を忘れていたようだ。

まぁ良い、上からかけよう。タパタパタパ~。。。

 

と、手順が全っっ部逆!

我々はこの料理を「お母さんの枯葉炒め」と呼んでいた。

 

例えばスパゲッティ・ミートソース。

 

→ まず、鍋にお湯を沸かす。

→ ミートソース缶の蓋を開け、中にお湯が入らないように気を付けながら、缶ごと鍋の中に置く。

→ 同じ鍋にスパゲッティを投入。つまり一つの鍋でソースを温めながらパスタも茹でてしまうという天才的発明。そのうち特許でも取るつもりなのか。

→ ソース缶のせいで鍋の中が狭く、パスタの一部がお湯から飛び出しているが、気にしない

→ 茹で上がったらソース缶を鍋つかみでそっとお湯から取り出し、パスタをざるにあける。

→ スパゲティがこん棒のようにひと塊で茹で上がってしまったが、かまうものか。

→ ミートソースを缶から直接パスタにかける。缶の中心部のソースは冷たいままだが、それがどうした。。。

 

こちらは子供たちに美味しい物を作って喜んでもらおうという意識が見事なまでに欠落した究極のメニュー、「お母さんのこん棒スパゲッティ」だ。

 

人の家に食事で呼ばれた時に「何か苦手なものがある?」と聞かれるといつも元気良く、

 

「ん~っとね、焦げたものと、傷んだもの~」

 

と答えていたのにはちゃんと具体的な根拠があるのだ。

 

この前も久し振りに姉の家を訪ねた時に、隣に住む母が「これ皆で食べなさ~い」と持って来た煮物をついうっかり口にしてしまい、

 

「・・・姉ちゃん、これ、何か発酵してる。。。」

と言ったら、

 

「油断してたようだね。おふくろの味だよ、懐かしい?」

と笑顔で返されたのも記憶に新しい。

 

特筆すべきなのは、母自身や父が一緒に食べる時はここまでひどく無く、子供のためだけに仕方なく作る時はかなり投げやりで乱暴なのだ。何か恨みでもあるのか。


いずれにしても、母が開拓奉仕を始めた頃から手抜きに拍車がかかったことは、無視できない事実だ。

 

そんな彼女の口癖は、「おいしければいいのよ」

 

 

???

 

???

 

おいしければ??

 

うん。おいしければ・・・まだ良かったのかもしれない。

 

 

もともとあまり料理が得意でない母。

 

例えばご飯の炊きあげに失敗する。

電気炊飯器だ。飯盒炊飯では無い。

十姉妹の差し餌を連想させる、ガリッガリに芯の残ったご飯が定期的に食卓に上る。

 

キャベツや大根など、大きな野菜を半分だけ使って、残りの半分を取って置くという発想がない。

ぐつぐつと湯気を出す鍋。その鍋の倍近くの高さに積み上げられた大根の上に、蓋がちょこんと乗っている様子はなかなかユーモラスだ。

 

それからお好み焼き。

良く「好きな家庭料理」の上位にお好み焼きが入るのが、私はいつも不思議でならなかった。

なぜなら母が作るお好み焼きは、噛んでも噛んでも飲み込むことのできない、

食べ物というよりはむしろ円盤投げに適した物体だったからだ。

 

そんな母ではあるが、その気になれば大変美味しい料理も作れる。

例えばおろしにんにくをたっぷり和えたヒレカツなどは絶品だし、私の夫を初めて家に呼んだ時に張り切って作ってくれたラム肉のオーブン焼きは、夫が私の母を褒める数少ないエピソードの一つだ。

 

すでに二十数年前の話なので、そろそろ褒められるネタを母に更新してもらいたいと切に願う。