春休みのある晴れた朝に、私たち三姉妹はどうしても動物園に行きたくなった。

冬の間中、「暖かくなったらね」とかわされていたので、

 

「今日あったかいよ~動物園行こう~よう~ねぇ行こう~」

 

と朝からひな鳥がエサをねだるように、しつこく騒ぎ続ける三人。

母は専業主婦ではあったが、子供のために時間や労力を使う事は好きではない。

 

「そうだ、お金あげるから、あなたたちだけで行って来なさいよ」

 

 

へ??

 

まぢですか?

 

 

ちなみに私と姉は3、4年生くらい。妹はまだ幼稚園児だ。

 

上野動物園は家族で時々訪れるお馴染みの動物園、電車の乗り換えもいらない。

しかし、我々はまだ大人の同伴無しで電車に乗ったことが無い。

 

それがいきなり子供だけで一日動物園って、

 

 

ちょっと、

 

 

ハードル高くね?

 

 

しかし、しっかり者の姉は母の気が変わって動物園行きが中止になるのを恐れ、

 

「分かった。じゃあ三人で行くよ」

 

と真っ直ぐな瞳で即答。

 

 

「上野駅に着いたら公園口から出るのよ」

 

とだけ言って、母は何のためらいも無く子供たちを送り出した。

 

 

切符を買って、改札口でパッチンとパンチを入れてもらったら、緊張しながらも窓にベッタリと張り付いて一つ一つの駅名を確認。東京駅を過ぎると街の様子がガラリと変わり、ごちゃごちゃと雑な感じになって行く。

御徒町に電車が入ると、

 

「おかちまち~二木の菓子!二木二木二木二木二木の菓子!次は上野、上野!バンザ~イ!」

 

とテンションMAXで盛り上がる私たち。 

(分からない人は下記をクリック↓)

https://www.youtube.com/watch?v=HiT-L5k6Vpg

 

上野駅を出たら動物園の入り口まで美術館などを横目に公園内を真っ直ぐ進めば良い。

子供の足で15分位だったと思う。

 

1956年に「もはや戦後ではない」と宣言されてから20年くらい経っていたが、この動物園までの道のりには当時まだたくさんの兵隊さんが軍服を着て物乞いをしていた。

腕や足をもがれて不自由な身体になってしまった人がほとんどで、ラッパを吹いていたり、軍歌を歌ったり、土下座したまま動かない人たちもいた。

私たちは何か申し訳ない気持ちで一杯になりながら、早足で兵隊さんたちの前を通り過ぎる。

 

さて、動物園に入って真っ直ぐ向かったのがパンダ舎。

カンカンとランランの来日から数年が経っていたが、一番人気のパンダ舎の前には長蛇の列。小さい私たちは三列のうち一番前の列に並ばせてもらえました。

 

整理係が拡声器を使って、

 

「押さないでくださ~い」

 

「立ち止まらないでくださ~い」

 

と矛盾したフレーズを繰り返し叫び続ける中、カンカンとランランはいつものポジションで大きな丸いお尻をこちらに向けてぐっすりと就寝中。薄暗い室内にある狭いパンダ舎は、前面がガラス張りの冷たいコンクリートの箱で、何だか刑務所のように見えました。

 

パンダの次はいつものようにゾウさん、猿山、そしてライオンやトラのいる猛獣コーナー。

上野動物園の展示は動物たちの居心地よりも、いかに丸見えにするかが最優先されており、猛獣たちは長方形の鉄の檻に閉じ込められていました。魂が抜けたようなうつろな表情で、狭い檻の中を行ったり来たりする動物たちは実に胸が痛む光景。

 

物心付いた頃から生き物に強い関心を持っていた私は遊園地よりも動物園に行きたがる子供でしたが、行ったら行ったでいつも何とも言えない複雑な気持ちになってしまうのが常でした。

 

このあたりで三人は猛烈にお腹が空いてきましたが、子供の福祉に無関心の母は私たちの昼食については何も考えていなかったようです。お弁当やおやつを持たせることも無く、姉に渡したお小遣いも電車代と入場料を差し引くと、焼きそば一皿分も残りませんでした。

 

姉は帰りの切符に必要な金額を取り分けると、余った小銭で買えそうな物を探しに売店に走り、

買ってきたのが、

 

明治の 「なんきんまね」

 

これ知ってる人います?

(分からない人は下記をクリック↓)

https://www.youtube.com/watch?v=P0yvC5gFASk

 

チョココーティングされた、落花生の形のコーンパフの中に本物のピーナッツが二粒入っている、割と手の込んだスナック菓子。これを人数分で分け、余った一個は長子の特権で姉がもらい、一つずつ味わって食べました。これは見た目も楽しいし、振るとカラコロ音がするし、ピーナッツで腹持ちも良いしで、なかなかのグッドチョイスだったと思います。

 

上野動物園は東園と西園に分かれており、両園は当時大変珍しかったモノレールで結ばれていました。

しかし有料だったため我々は何の展示も無い、長く蛇行する坂道を三人でふうふう言いながら歩きました。

いつもなら「疲れた~おんぶ~」とぐずり出す妹も今日に限っては姉ちゃんたちのペースに合わせ、文句も言わずに付いて来ます。よしよし、偉い偉い。

 

西園には大きな子供動物園があり、ここでヤギのエサを買ってもらって遊ぶのがいつものパターンですが、今回は柵の外にこぼれ落ちた穀物を落穂拾いのように集めて、しばしのふれあいタイムを楽しみました。

 

子供動物園の裏手には実に可哀そうなキツネとタヌキの展示があり、こちらも必ずチェックします。

昔話の主要キャラという事で、一見楽し気なお家の形にベニヤ板を張り付けてはありますが、実際に入れられているのは犬猫のキャリーケージ並みの小さな檻。本当に世話をする人がいるのか心配になる位、水入れには水苔が生えており、キツネもタヌキも痩せこけているのでした。

 

そして最後は西園の奥にぽつんと建つ水族館もしっかり見学して、長い一日が終わろうとしていました。

ここからは不忍池(しのばずのいけ)のほとりを歩きながら上野駅の不忍口に向かいます。

三人はもうクタクタ。お腹も空いてるし、足も棒のようです。

 

重い足を引きずるように歩いていると、ぽつりぽつりと立ち並ぶ屋台の中に飴玉屋さんがありました。

表面にザラメが付いたカラフルな飴玉はとても大きく、一粒で子供の口が一杯になってしまうほど。

一個十円でした。

すると姉が、

 

「三十円だけ余っているから、一個ずつ買おう!」

 

と嬉しい提案。あれこれ迷ってから、私は涼しげなブルーのソーダ味を選びました。

屋台から少し離れて、買った飴玉を分けようとしていたら突然近くの藪から、

 

「お嬢ちゃんたち、一緒に遊ぼう」

 

としゃがれた声。

 

見ると、

 

腰までラスタへアーの、

 

赤黒く日焼けした顔に前歯の無い、

 

ボロ布のような何かを身にまとい、

 

素足に直接、靴底のような物をひもで縛り付けた、

 

得体の知れない、

 

最高度に気味の悪い男が立っていました。

 

 

そう、上野公園は浮浪者のメッカ。

 

 

「ぎゃあ~~~っ!」

 

 

三人は声を限りに叫んで猛ダッシュで逃げだします。

 

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん!」

 

と言いながら走って追いかけて来る男。

 

しかし、ひもで固定しただけの靴底のせいなのか、それほど足は早くないようです。

 

よし、これなら逃げ切れると思ったその時、

 

妹が、

 

転んだーーーーっ!!

 

 

もうそれはそれは見事に、

 

ドザァーーーッと、ヘッドスライディングのごとく、砂利道で。

 

本来は泣き虫で甘えん坊の妹ですが、この時ばかりは口をへの字にゆがめてすっくと立ちあがり、両膝にこびり付いた土を払いもせずに再び走り始めます。

 

 

見直したぞ、妹よ!

 

 

そして三人で歩道橋の階段を一気に駆け上った時に、男の気配が無くなりました。

 

見ると、靴のせいなのか、それとも縄張り圏から出たくなかったのか、階段のところで立ち止まった男が、

 

「おぉ~い、こっち来~、こっち来~」

 

としきりに手招きしています。

 

 

誰が行くかよ、馬鹿オヤジ!!!

 

 

まだまだ安心できない三人はそのまま駆け足で上野駅に向かいます。

 

電車に乗り込んだ我々は、限界を超える疲労と空腹と恐怖で完全に放心状態。

姉が渡してくれた大きな飴玉で、ほんの少しだけ気分が良くなりました。

 

 

「どうだった、動物園は?楽しかった?」

 

母に聞かれて、三人はぴょんぴょん飛び跳ねながら、

 

「すっごく楽しかった~!」

 

と答えました。

 

もし本当の事を話したら「動物園なんかに行くからそんな目に遭うのだ」と母親としての責任は棚に上げ、きつく叱られるのが分かっていたからです。

 

こんな感じで、私たち三姉妹は危機管理能力ゼロの母親の元でしょっちゅう危ない目に遭っていました。

深刻な犯罪に巻き込まれずに無事に大人になれたのは、たまたま運が良かっただけなんだと思っています。