初めての地域大会は川崎の競馬場でした。

 

川崎という町は今でこそ駅前の開発が進んでちょっぴりお洒落になりましたが、昭和50年代の頃はできれば足を踏み入れたくない、怖くてガラの悪い場所でした。

競馬場に続く通りには安飲み屋が立ち並び、朝から赤ら顔のオヤジたちが耳に赤鉛筆を挟みながらこちらをジロジロ見ています。私たち三姉妹は母にしがみ付くように恐々と会場に向かいましたが、なぜ宗教活動のためにこんな気味の悪い所に来なければいけないのか謎でした。

 

生まれて初めて足を踏み入れた競馬場には「神のなんちゃら地域大会」の巨大バナーが張られ、場違いな正装をした信者たちが続々と集まっています。会場は隅々まで掃除が行き届いていましたが、その場から立ち上るような不健全な空気を消し去ることは不可能でした。

 

最初に目に入って来たのは所狭しと張られた

 

「許しません、ノミ行為!」

「ノミ行為は違法です」

「ストップ!ノミ行為」

のポスター。

 

「お母さん、ノミ行為ってなあに?」

と尋ねても、

「あなたたちはそんなこと知らなくて良いの!」

と一蹴されてしまいました。

 

訳分からない所に連れて来られた上、「許しません!」の意味も教えてもらえず、不満で一杯の我々は建物の中に足を踏み入れて仰天しました。

通路のコンクリートの床にびっしりと敷き詰められたビニールシート、そこにぺたんと座り込んで朝食を取る信者たち、その数はまさに「大群衆」そのものでした。数日間にわたる、朝から夕方まで続く宗教の集まりにまるで難民のような状態で参加しようというのです。

 

案内をしてくれた司会者の姉妹はニコニコしながら、

「ハルマゲドンの直後はきっとみんなこんな状態で生活するのよね。

そのための予行演習みたいなものかしら?」

と言います。マジか!

 

お嬢育ちの母はさすがに難民キャンプは避けたかったようで、外の座席を探しました。屋根に近い後方の席は既に埋まっていたので、真ん中よりもちょっと前方の席を確保しました。午前中だったのでまだ涼しい日陰の下でした。

 

プログラムが始まりました。いつものようなつまらない話でしたが、一応「大会」というだけあって、「皆さん、ご覧ください!なんとかかんとかではありませんか!!」とやたら煽るような話し方に会場の信者たちはいちいち熱狂しては盛大な拍手を送ります。

 

いつもの集会と違う点は何と言っても競馬場という会場で、練習のために時々サラブレッドたちがコースを走るのを眺めるのはとても優雅で美しい光景でした。コースの中央には釣り堀もあり、のんびりと糸を垂らしている人たちはこの大会の話を大音響で聞かされて迷惑だろうなぁ、なんてことを考えていました。

 

さて、お昼も近くなると段々日陰が少なくなってきて、真夏の太陽が直接頭上に降り注いできました。

この時のために持って来た日傘をさしますが、無風状態のコンクリートに照りつける直射日光は耐え難く、三姉妹はグズグズ文句を言い始めます。この時になってやっと難民キャンプの利点が分かってきました。

「お母さん、お昼が終わったらあそこに座ろう」と私たちは大群衆の方向を指さしました。

 

ところで当時のエホバの証人の大会は、伝説になるほど食事や喫茶が充実していました。

カレーライスは手作りで大変美味しく、他にも牛丼や鮭弁当、山菜ソバなども人気でした。その場で作ってくれるかき氷、氷水に付け込んだ冷え冷えの瓶入りソフトドリンク、アイスクリームやカットフルーツなど、涼し気なデザートも豊富に用意されていました。

 

さて、午後のプログラムが始まる頃、母が「良い場所を見付けたからこっちにいらっしゃい」と、娘たちを上の階に導きました。エアコンのきいたガラス張りの大きな部屋はVIP席。張り紙には、体の不自由な方や妊婦のための特別席、および英語プログラムご視聴の方限定と書いてあります。私たちが入れる理由はありません。それでも堂々と入ろうとする母。すかさずストップをかける案内係。

 

母は私達三人姉妹を指さして、「子供たちが・・・」と言います。

私たちの顔を見た案内係は「失礼しました!」とかしこまって、手前にある英語プログラム席に案内してくれました。そう、私達の父親は実は欧州系の白人。三姉妹は要するにハーフです。

ハーフと言えば何かカッコいい響きがしますが、当時は混血だのあいのこだの見下げたような呼び方しかなく、アメリカ人でもないのに「やい外人、アメリカに帰れ!」と大人にも言われるような嫌な時代でした。

 

それはともかく、別に英語が母国語でもない私たちの見た目を利用して、こんな空調のきいたVIP席をゲットする母の悪知恵に我々は戸惑いました。

 

これって今ハルマゲドンが来たら絶対に滅ぼされるヤツだ。。。

 

行きたくもない大会に連れて来られた上、大会会場で神の怒りに触れて殺されるなんてマジ勘弁。

「ほら、早くこれを付けて!」と英語プログラム用のイヤホンを母に渡され、複雑な思いで灼熱地獄と化した本会場を見下ろす私たち。みんな暑いの我慢しているのにこんなズルはダメだよと心の中では抗議しつつも、涼しいVIP席の柔らかい座席は確かに魅力的でした。

 

ふと周りを見渡すと、盲導犬と一緒に座っている男性が目に入りました。

当時はまだ大変に珍しかった盲導犬。動物好きの私は静かに男性に寄り添う優し気なラブラドール犬に完全に心を奪われました。

そしてプログラムが終わった後まっすぐ近付いていって、「この子に触ってもいいですか?」と聞いてみました。盲導犬と同じように穏やかな雰囲気の男性は、私が犬と触れ合う事を許してくれて「この子はカレンっていうんだよ」と名前を教えてくれました。

カレンちゃん・・・カレンちゃん・・・私はすっかりこのコンビに夢中になって、翌日の大会に出掛けるのを心待ちにしました。

そして土曜日、午前のプログラムが終わる前にカレンと男性はいつの間に姿を消していました。

一体どこに行ったんだろう?

不思議に思っていると、なんと!コース中央の芝生に設置されたバプテスマプールに並ぶ浸礼希望者の列にあの男性が並んでいました。カレンの姿はありませんでしたが、付き添いの人の肩に手を乗せてゆっくりとプールに向かった男性がついにバプテスマを受けて水から上がった時、祝福の拍手がひときわ大きく響きました。

この後、地方に引っ越して行ったのかこの男性に出会う事はもうありませんでしたが、今でもこのコンビを懐かしく思い出します。

 

母がバプテスマを受けて間もなく、我が家は大会出席者のために宿舎を提供するようになりました。その時に出会った家族の話を次回は書こうと思います。