80年代後半までの昭和時代は、JWに限らず子供への体罰がしつけという名の下で横行していたものです。

親だけでなく学校、特に運動部などでのしごきは当時完全に野放し状態でした。

 

JWになる前から私の母は「コラ!」とか「ダメでしょ!」と叱りながら割と気軽に子供たちの頭や手をぴしゃりとひっぱたいたりしましたが、どれも瞬間的なものでそのまま流せるレベルのものでした。

王国会館で見たようなせっかんは一度も経験したことがありません。

 

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私の父は元々穏やかな性格な上、子煩悩で娘たちに甘い、優しい人でした。

 

そんな父が唯一厳しかったのが食卓でのマナーです。

とは言っても基本のルールさえ守っていれば特にうるさい事は言われず、我が家の食卓はお喋りな娘が三人もいたので、いつも賑やかでした。

 

賑やかなのは良いのですが、子供なので時々食卓上のふざけ合いが過ぎる事があります。

お皿の食べ物に手を付けず、いつまでもギャーギャーワーワー騒いでいると突然「コラ―!!」と顔を真っ赤にした父が怒鳴ります。

「何度注意したら分かるんだ!これはもうお仕置きだ!三人ともそこの壁に並びなさい!!」

 

まずい!

私たちはすぐに食卓から立ち上がり、

「ちょっと待ってて!」

と言いながら急いで子供部屋に駆け込み、適当な絵本をそれぞれパンツのお尻にセットして再び父の元に戻ります。

 

「きちんと食事を終える前にふざけるのがどれほどいけない事なのか、何度言えば君たちは理解できるんだ?」

威厳を込めて父は語ります。

「食べ物を作った人にも、食べ物に対しても、これ以上失礼なことは無いんだ。だから今からお仕置きをする。分かったね。」

 

「ハイ。」

神妙に答える娘たち。

 

「後ろ向きに並びなさい。動いちゃだめだよ。」

父は長いプラスチック製の靴ベラで、明らかに四角く張り出している娘たちのお尻を服の上から順番に一回ずつ叩きます。

バンッ!バンッ!バンッ!

 

音だけは豪快に響きますが、当然全く痛くありません。

 

「どうだ、反省したか!」

「反省しました。」

「じゃぁもう良いから食卓に戻りなさい。」

「ハイ。」

 

三人はまた大急ぎで子供部屋に戻り、絵本を取り出して食卓に戻ります。

 

どう考えても子供サイドの不正が大きな「お仕置き」ですが、これが終わると自分たちでも不思議なくらい「良い子」になったものです。お行儀よくお皿の料理を平らげ、食卓を綺麗に片付けるだけでなく、三人で仲良く食器を洗ったりもしました。

 

大人になってからあの当時の父とのやり取りを思い出しては不思議な気持ちになったものです。

どうしてあのインチキを父は指摘しなかったのだろう?

インチキなのに、どうしてちゃんと効果があったのだろう?

 

今ではその理由がはっきりと分かります。

 

父は娘たちの事を本当に信頼していたのです。

 

子供だから時々行動がエスカレートしてしまう事、感情をコントロールできなくなってしまう事。

でも一度落ち着けば、ちゃんと道理をわきまえた礼儀正しい自慢の娘たちである事。

 

そして、できれば痛い思いなんかさせたくない。

痛みを与えずに分かってくれるならそれでいい。

 

父の、娘たちに対する深い愛情です。

 

その信頼と愛情を感じ取ることができたので、私たちもそれに応えたいと思ったのではないでしょうか。

 

 

 

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