エホバの証人による悪名高い「懲らしめ」と呼ばれる虐待を目の当たりにして、私は一刻も早く母親の隣に逃げ込みたいと思いました。
幸いそのタイミングで賛美の歌が始まったので、私と姉は自分たちの席に戻ることにしました。
約2時間の集会の後半は「ものみの塔研究」。ものみの塔誌の研究記事を質問と答えで進めて行きます。
我々は会場の後方に座っていたので、私は会場にいる子供たちを観察する事にしました。あれほどのせっかんを受ける子供は、一体どんな悪事を働いたのかどうしても知りたかったのです。
70年代の王国会館は小さな子供で溢れており、ほとんどの列に何人か子供たちが座っていました。
小学生の、私や姉と同じくらいの子供は大体きちんと椅子に腰かけ、司会者の方を見て、時々手を挙げて質問と答えに参加していました。
問題は幼児から幼稚園くらいまでの小さな子供たちでした。
子供への配慮ゼロの退屈な集会では、当然集中力が長く続くはずもありません。
足をぶらぶらさせたり、何度も後ろを振り向いたり、文具を床に落としては拾うを繰り返したり、退屈した子供が行なうごく普通の行動を取っています。それでも、その子たちなりに頑張っており、通路を走り回ったり大声を出したりして集会を妨害するような子は一人もいませんでした。
退屈した子供たちの母親は最初の何回かは静かに「止めなさい」と注意をしますが、ある時点で突然ガタっと無言で立ち上がり、子供の上腕を乱暴につかみ、出口に向かいます。
これから何が始まるのか悟った子供は恐怖に引きつり「お母さんごめんなさい!」を繰り返しながら引きずられるように外に出され、物置小屋でのせっかんを受けるのです。
子供の泣き叫ぶ声や母親の怒鳴り声は王国会館の中にいてもそれなりに聞こえます。
私は自分の母親がどんな反応をするのか知りたくて顔を覗き込みますが、母はまるで何も聞こえていないかのように演台で話される事柄に集中しています。
おかしくない?お母さん、あの声が聞こえない?ひどすぎない?ねぇお母さん!
私は心の中で必死に訴えますが、母は知らんぷり。
まるで大人たちが全員で結託して子供たちへの虐待行為に協力し合っているかのようでした。
その当時、どこの王国会館でも共通していた内装のデザインは演台の後ろの壁一面にビロードのカーテンを吊るすものでした。私たちが座っていた会場の壁にも、青い絨毯に合わせたスカイブルーのカーテンが吊るされていました。
私は、すまして司会を進める兄弟の後ろの壁にじっと目を凝らし、あのカーテンの後ろには牢屋か拷問部屋ががあるに違いない、集会が終わったらカーテンをめくろう、そうすればお母さんだってここから逃げ出すに違いないと思い続けていました。
そして集会が終わり、兄弟が演台から降りると真っすぐ演台に駆け上がり、青いカーテンを大きくめくってみました。
「あらあらプー子ちゃん、いたずらしちゃダメでしょう!」
母が強い口調で叱ります。
カーテンの後ろは、ただの白い壁。
牢屋も拷問部屋もありませんでした。
それでも、その時私の心に浮かんだイメージはその後も消えることなく、大人になっても時々カーテンをそっとめくって後ろの壁を確認する習慣が無くなることはありませんでした。
ちなみにこの王国会館の物置小屋でのせっかんは間もなく、近所の人が警察に通報することで無くなりました。会衆の姉妹たちが「サタンの妨害」だと言っていたのを覚えています。
私は心底ほっとしましたが、今にして思えば虐待は子供たちが家に帰ってから行なわれただけで、本当の意味で無くなった訳ではなかったんだろうなと思います。