母がエホバの証人と聖書研究を始めた頃、我々一家(父、母、姉、妹)は毎週日曜日に目黒にあるカトリック教会のミサに通っていました。元々は母の強い希望で始めた教会通いでしたが、特別信心深くない父も含めて家族全員が毎週のミサを楽しみにしていました。

 

教会内部には大きなステンドグラス、キリスト像にマリア像、壁にはイエスの生涯を表すレリーフ、燭台、重厚な木のベンチなど、自分が特別な場所にいる事を感じさせてくれました。ミサも司祭の祈りの言葉に合わせてフレーズごとに「ア~メ~ン」と一斉に唱えたり、立ったり座ったりひざまずいたり賛美歌を歌ったりとアクションも多く、パイプオルガンの美しい音色をバックに回って来る献金箱に10円玉を落とすのも楽しみで、いつもあっという間の小一時間した。

ミサの後は美しい中庭で大人たちは社交を楽しみ、子供たちはかくれんぼや追いかけっこなどをして遊びました。

 

そんなある日、母が「今週の日曜日はお母さんね、エホバの証人の集会に行ってみようと思うの。お父さんは目黒の教会に行くって言っているから、あなたたちはどっちでも好きな方に行って良いのよ」と言いました。

教会のミサに好印象を持っていた私と姉は違う教会も見てみたい!と母と一緒に行くことに決め、妹もまだ幼かったので結局父は一人で目黒の教会へ、母と子供たちは初めてエホバの証人の王国会館を訪れました。

 

姉妹に案内されて住宅街の細い小道を進むと、一軒家の敷地ギチギチに建てられた見すぼらしいプレハブの建物にたどり着きました。まず入り口で靴を脱ぎ気持ちの悪いビニール製の赤いスリッパに履き替えますが、スリッパの中がしっとりと湿っていたので使用せず、靴下のまま上がりました。床はベニヤ板で出来ているようでした。その上に化繊で出来た青い絨毯のようなものが張られていましたが、その繊維が靴下の中までチクチクと刺さります。玄関から演台に続く通路は絨毯の擦り切れが激しく、白っぽい下地がけもの道のように現れていました。

 

それほど大きな建物ではありませんでしたが、使い込まれてゆがんだパイプ椅子がびっしりと並べられて満席でした。やがて賛美の歌と祈りで集会が始まり、会社員のようなスーツ姿に赤いビニールのスリッパを履いた中年男性が演台に立って講演を始めました。

 

「皆さんは××ですか?○○は△△です。私たちは××なので○○は△△しなければなりません。エホバ神は××と言っておられます。一緒に調べてみましょう。創世記○章○節では(全員がガサガサと聖書を開く音)△△と書かれているので私たちは××しなければなりません。。。」

というような面白味のない話が延々と続きますが、母も含めて皆熱心にメモを取っています。

多分15分位は大人しく座っていたと思いますが、近くの洗面所から沼のような匂いが漂って来た時に姉と目配せをして、「ねぇお母さん、お姉ちゃんと一緒に外で遊んでいてもいい?」と母の耳元でささやきました。

 

意外な事に「いいわよ」とあっさり許可が下りたので、私と姉は爆睡中の妹を置いてそっと王国会館の外へ出たのでした。

 

長くなってしまったので続きます。

 

(注)当時のJW信者たちが自分たちの王国会館を持つことを切望し、限られた資金の中で自分たちの所有物や労働力を提供してきた事は知っています。信者たちの努力を馬鹿にする意図はありません。この内容に不快感を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまでも生意気盛りの子供の目から見た印象をそのままに書いています。