私の母は1976年にエホバの証人と聖書研究を始めて、今に至るまで熱心な信者です。

私自身は当時小学生で、聖書研究も集会も野外奉仕も全く好きになれませんでしたが、母が怖いので渋々参加していました。いつか大人になって家を出たらJWとしての活動を止めたいと心に決めていましたが、10代になって自分の人生に思い悩むようになり、JW活動をもっと頑張れば幸せになれるのかも?という思いからバプテスマを決意しました。18歳の時だったと思います。

 

それからは自分なりに熱心に活動を続けて正規開拓者になり、会衆では模範的な姉妹として高く評価されていました。ところが20代後半で「燃え尽き症候群」のような症状で体調を崩し、正規開拓を続ける事が出来なくなりました。体調がすぐれなかったため集会も休みがちになると段々自分の評価が下がって行くことを実感し、初めて「霊性が低い人」と呼ばれる人たちが会衆内でどれほど惨めな思いをしてきたのか理解できるようになりました。

 

初めて受けた「牧羊訪問」も慰めや励ましは全く感じることはできず、自分は会衆に悪影響を与えかねない危ない人に見られているんだとショックでした。

 

さらに追い打ちをかけるように母や姑からもっと霊的な活動に励むようプレッシャーが掛かり、ついに心が限界に達して「この世界は異常だ、もうこの人たちと関わりたくない!」と真剣に断絶を考えるようになりました。これを思いとどまらせてくれたのが同じJW二世の夫で、「昔の友人たちと連絡が取れなくなったら寂しいよ」と、一緒に自然消滅の道を考えてくれました。

 

その頃、住みにくかったアパートを出たくて家を探していましたが、区域外に良い物件が見付かったので会衆の人たちに何も告げずに引っ越しました。固定電話の番号はそのままだったので会衆の長老から何度も留守電のメッセージが入りましたが決して電話には出ず、数年経ってついに電話が掛かって来なくなった時にやっと自由を実感できました。

 

今では専門職の資格を取り、新しい人生を歩き直しています。