あまりに美しいものを目の当たりにした時、人は何を感じるでしょう?
美しい風景、建築、絵画、彫刻、等々それらの多くは私たちを癒す以上に、心を揺らがせ、惑わせ、時には傷つけるものではないでしょうか。
生ぬるいものは欲していない。研ぎ澄まされた美しさに致命傷を負わされてしまいたい。
私の場合は。
先日、かねてから憧れていた工場夜景クルーズに参加した。
日没を過ぎ薄ら暗い港を離れて、胸がざわざわとうるさくなるのを感じながら甲板に立ち潮風に吹かれた。
目の前に現れたのは日常生活で見る景色とは切り離された鉄と海の世界だった。
本来美しくあるために生み出されたものではないはずの無機質な工場の群れは、不思議に甚だ美しかった。
大自然が放つ荘厳さが私たち人間の無力さを浮き彫りにさせるなら、工場夜景が醸し出すそれは私たち人間の虚勢を照らしているのだと思った。
間違いなく私たち人間が造り出したものであり、我々の手の内にあり、飼い慣らしているはずの人工物は、いつの間にか人間の手をすり抜けて生き生きと自ら呼吸しているように感ぜられた。彼らにはあるはずのない鼓動が私の心臓と同期するような錯覚さえ覚えた。
きっとここには永遠など存在せず、目まぐるしく発展を遂げた人類の文明は儚く滅びてしまう。
それならこの60分間の長く短いロマンの中に閉じ込められてしまいたかった。
頬を撫ぜる潮風も、浮かび上がる三日月も、闇夜に溶けていく水平線も、私を取り残して通り去ってしまえばいい。
一人置き去りにされたまま、春先の冷たい夜の真ん中で、このまま人知れず姿形をなくしても構わないと思えた。
美しさは残酷でなければならない。
ひどく美しい工場夜景を見ながら感性をむき出しにされた私の心に、波しぶきがヒリヒリと沁みた。
その後しばらく、美にのぼせた私はろくに口を聞けずにいたのでした。