想い込みが強いように思われるかもしれないですが、この映画の主人公と老人である小説家を、自分と松本憲先生に重ね合わせてみることが多々あります。(松本先生については以前ブログで紹介しました)

この先生に出会った頃、私は精神安定剤が手放せないときで、何とも言えない不安や葛藤の中でもがき苦しんでいました。毎日40錠くらいのいろんな薬を飲みながら、苦しくて苦しくて息もできないような中、光が欲しい光が欲しいと思いながら生きていました。


最初、先生に会った時、正直先生の私への感想は『・・この人はちょっと・・・』というくらい変な意味で印象に残ったらしく、半分避けられているような感じでした。 なんでもすぐに聞いてくるし、なんか抜けすぎてるし、30年以上教員やっていてこんな意味わからない人は初めてだと思ったらしいです。

あるとき、OBを集めた松本先生の講演会にお手伝いとして参加して、その時の講演のタイトル『日野原昌造と福沢諭吉』というのがあまりに自分にとって面白くなかったから、今度は『吉田松陰と福沢諭吉』にしてくださいと私が文句交じりで先生に話し出したのがきっかけで、少しずつ仲良くなって行きました。

そして、その案を実行するのに、どうせなら地元の山口県でやろうということで、私の家の近くの会場を貸し切り、小中学校でお世話になった先生方をお招きして講演会を行いました。

松本先生は、個人が人を集めるんだからせいぜい4人くらい集まればよい方だろうということで4部レジュメを持ってきていらっしゃっていたのだけれど、実際に会場に入った瞬間、約30人くらいの聴講生が先生の視界に一斉に入ってきて、久しぶりに現役時代に戻ったような刺激と興奮がそこにはあったそうです。

しかも、みんな現役の教員が、『元慶應教員による、教員の祖である福沢諭吉と山口県が生んだ偉大な教育者吉田松陰のお話』ということで、熱心に耳を傾け、質問を遠慮なくし、とても活気のある講演会となったことを、先生はとても喜ばれていらっしゃいました。

そのあとの懇親会は、高齢(当時74歳)の先生のことを考えて、人が少ない静かなところでほとんど内輪だけで行ったのですが、最初、『年だからもう飲めない』とか、『二時間したら帰る。体が持たない』と言っていらした先生が、結局は楽しすぎて帰りたくなくなり、夜の6時から居酒屋閉店の11時まで5時間も飲みながら喋りづづけておられました。

その時に『あんたは私にとって起爆剤とかビタミン剤みたいなものだ』とおっしゃって下さいました。

精神安定剤が欲しくてたまらなかった私と、人生の斜陽に差し掛かって憂鬱な時間をただ過ごす先生。

現役時代と退官後とのあまりのギャップに自らの脳が急激に認知症へ向かってしまうのではないかという危機感におびえつつ毎日毎日を刺激無く過ごしていた先生。

松本先生は私の精神安定剤と成り得、私は先生のビタミン剤と成り得る。

私は、この先生からいろんなものを得ることができたし、警察官僚、敏腕弁護士、刑法関連の有名な学者、いろんな手の届かないような人たちと飲み会をする際に、『あのさー、○○くん、この人に話してやってよー、いろいろ聞かせて勉強させてやってくれよー。』と、松本先生の鶴の一声で、お偉いさんたちが『ハイ!』と口を開いてくれる状況を何度も経験させていただきました。

卑屈になっていた自分を励まし続け信じ続け、『あんた見てると、私の若いころ思い出すよ。不器用で(笑)』と言いながら支えてくださった先生。

『あんた見ると、長生きせんといかんと思う。ボケるわけにもいかん。』とおっしゃっていた先生。

だけど、後でほかの人たちにお話を聞くと、少し前までは『俺の命もそんなに長くないから』とか、『死と向き合うだけだよ。ボケていく不安と一緒に』といつも言われていたらしいのです。

この先生に会って、私は『自分にも人を変えることができるんだ。こんなに長く生きて、山ほどの人から慕われているような人に必要とされたりするんだ。』と、なんとなく自分の存在意義みたいなものが認められた感覚を初めて経験できました。

今でも、元気をなくしたときに、松本先生の一言一言を思い出します。

肝心なところが口下手で不器用な私は、苦しいときも悲しいときも、その思いを表に出すことがあまりできません。だから、たいていの人に真面目に生きていないように誤解されるのだけど、この先生だけは、ご自身がそうだったこともあって、手に取るように私の気持ちをくみ取ってくださり、こちらが何も言っていないのにふとした仕草を読み取っては言葉をかけてくださっていたのです。

複雑な気持ちのままもどかしさを抱えて生きている少年と、生きる希望をなくしている小説家。

少年と小説家が出会い、少年は様々なことを小説家から学び成長していき、小説家は生きる希望を取り戻していく。

この設定が、なんとなく私と松本先生の関係と重なって見えるのです。いつもいつも。 (ただし、私はただの凡人で、この黒人の少年のような能力はないのだけどね。分かっているって、そんなこと。)

頼むから放っといてくれと言わんばかりの態度を続けていた私に、何度も何度も語り掛けながら人間として成長させようとしてくださった先生。

『あんたにたいして、しつこく言うとるのは私も分かっとる。でも、私もある程度の経験と地位があるからプライドっていうものもある。言うても仕方ないものに口を開くようなもったいないことはせん。』

自分が自分を信じることができない私を、しつこいまでに信じてくださった先生。


その先に何があるのか、これからは、自分の身を持って、先生の言葉を形にしていけたらなと最近思いはじめました。

私の今の原動力の一部かも知れません・・・。