宮城県に住む従姉が来年の2月に結婚式を挙げることになった。


と言うことで、来年の2月は宮城に行く。




何年戻っていないのか……。


3月11日の震災後も戻りたかったのだが、現実はそんなに甘くはない。


今回帰郷したら、向こうの様子がどれだけ変わったのかこの目で確かめてくる。


今後の自分にも関わりのあることであるし、出来る限り自分の足で確かめたい。




そういえば僕はあの日以来、記憶を風化させまいと毎月11日に震災関連の記事を探したり、動画を見たりしていることは確か以前にも書いたと思う。






今回は一つ紹介したいと思います。


よろしければ見てみてください。






 今月、先月と航空祭に行ってきた。

 思い返してみると、生まれてこの方航空祭に行った記憶がなくて。

 小さな頃、一度だけ松島基地の航空祭に連れて行ってもらったみたいだけど……残念ながら記憶に残っていない。


 今回の航空祭は一度見学に行かせて頂いた芦屋基地と築城基地で行われたものの二つだ。

 

 しかしまぁ、どうして航空祭の当日とはこうも天気に恵まれないのかね……今回の芦屋基地へは雨が引く気配を逐一確認しつつ出発に備えたよ。おかげで航空救難団の展示を見損ねたわ!!


 でもまぁ、どちらの航空祭もブルーインパルスは飛んでくれたから良かったけれど。しかも、雲の切れ間から太陽の光がきらきらと降り注ぐ中で戦闘機が飛んでいる風景は何とも趣深かった。幻想的な何かを感じた。


 そういえば今回の芦屋基地では展示品も興味深い物だった。戦闘機のジェットエンジンの構造をまじまじ見たのはあれが初めてだ。他の計器類はこの前芦屋に行ったときにも見せてもらっていたが、機体からばらしてあるのはまた違うね。


 んん~。しかし、あんな精密機械に囲まれた戦闘機……。よく、不具合とか起きないね……。整備する側は大変だ……。


旅客機とかも携帯の電源をお切りくださいって言うけれど、あんなの積んでたらやっぱり気を遣うね……。飛行機って言うより、空飛ぶコンピュータだもの(笑)

 あの震災から8ヶ月が過ぎ、テレビではNHKで特集が月に一度組まれるくらいで、テレビや報道などのメディアからは消え始めている。私は、1ヶ月過ぎるたびに、関連記事を探す。次第にその数も減ってきている。人間というものは、忘れる生き物だ。ある意味忘れることで精神は安定な状態を維持している。辛い記憶は精神を蝕むだけだからだ。

 

 だが私は、敢えて忘れないように記事を読み返し、動画を見返し、実家に帰れば、石巻に足を運ぶ。

 今日は、何となくGoogleマップの航空写真を見てみて、一人で考え込んでしまった。知っている地区や地域がテレビに映り込む事はあまりない。航空写真は見たいところをはっきりと伝えてくる。ただ単純に画像として。知っている道、知っている建物、全てが名前だけが浮き出て、実物が写っていない。何もない。知っている町はどこにもない。



 今後、このような災害が起きたとき私は一体何が出来て出来ないのか、どのような備えが必要なのか、家族を守るには……

 常に考え、備えを怠らないようにしていきたい。

 

 そう考えるているうちに、仕事まで決まってしまったのが、何とも人生の不思議なところだが……。まさか自分がそういう方面の職に就くとは数年前の僕ならば考えられなかっただろう。


だが敢えて言いたい。

私は自分の選んだこの仕事を棺桶に片足を突っ込むその日まで、続けていこうと思う。

二度とあの時に戻らない為に。