私は、安定した生活を捨て、先の見えない生活を選びました。

自分の人生を生きるためです。

心の底からやりたいことに人生を賭けるためです。


私は今まで、自分の意思のみで決断したことがありませんでした。

親はどう思うだろう、周りからどう見られるだろう…。

選択基準を、自分ではなく他人に置いていました。

それは、何の危険もない、安全な道でした。


あるとき、

Aさんから、「君は何をやりたいの?」と聞かれ、

何も答えられませんでした。


『私は納得のいく就活をして、大企業に入社した。

そこでは、素敵な仲間や目標にしたい人達に出会って、私は恵まれてるし、幸せを感じてる。

やりたいことは、漠然とならある。より多くの人を笑顔にしたい。私は、この志望動機で会社に入った。

会社で働いているうちに、見つかると思う。うちの会社にはいろんな部署があるから…。』


この考えを伝えたところ、

Aさんには失笑されました。

なんだか、言ってるこっちが恥ずかしくなりました。

言ってることが恥ずかしい、って思ったとき、

私は情けなくなりました。

恥ずかしいと思うということは、心から思っていても、どこか聞こえの良い言葉にしようという私の恣意があった、

つまり、純粋な思いではなかったのです。

それに、より多くの人を笑顔にしたいだなんて、ぼやけすぎていました。

そのために何をしたいの?どの道のプロになっていきたいの?

ここまで考えに考えて、就活をやるべきだったと、後悔しました。


納得のいく就活というのは、入りたいと思うところに入れたからだったのです。

納得、というよりも満足、と言ったほうが適切でしょうね。

そして、大企業に内定したことは、両親も非常に喜んでくれました。


しかし、入社後の1年間を振り返って思うのです。

周りは、「会社」というフィルター越しに私を見ていました。

「○○会社のかおりさんね」

「さすが○○会社」

「○○会社の人間だもんね」

ここまでくると、もう私の名前さえ出てきません。

私は、「会社」という重たい鎧を身にまとい、私の体は周りから見えない状態になっていました。

このことを強烈に感じた出来事をひとつ。


あるイベントで、ペアになって、会社名を言わずに30秒で仕事内容と趣味を説明するというワークをやりました。


いざワーク開始。


『……やば、会社名を言わないと説明できない。だって、実務は仕事内容が分かることじゃないし、

かといってやってもいない仕事をやってますだなんて言えない。。』


結局、私は、仕事内容を説明することはありませんでした。

一方、相手はどんどん仕事内容を説明してくれました。はっきりとした職種が分からなくても、

何となく商社っぽいな、コンサルっぽいな、と感じることができました。


私は、何をしているんだろう。

会社名を言わなくちゃ、自分の仕事も説明できないのか。

入社して間もないからしょうがない。しょうがない…のか??

私は一体、何なんだ?



企業に勤めることを、肯定も否定もしていません。

ただ、私は、企業で働くことで、自分という「個」を相手に伝えられなかったのです。

「個」を伝えられないということは、伝えられるだけの中身がない。

寂しかった、悲しかった、虚しかったのです。

こう感じた今、変わらなければと思いました。


そして、もう一つ振り返って思うこと。

会社の人達についてです。

みんな、何のために働いているのかな。

話を聞くと、愚痴や悪口、不平不満しか聞こえないのだけど、

何を目指しているのかな。

みんなの夢って、何なのかな。


私が出会った人の中には、夢を叶えた人も、確かにいました。

でも、多くの人の顔、言葉。

どうして、こんなに不満いっぱいなのだろう。

なぜ、「こんなことやりたくねーよ」ということをやっているのだろう。


今は我慢の時なのかもしれません。

やりたいことができなくて当たり前。今は修行の時なんだから。

それもその通りだと思います。

それが自分の本当にやりたいことにつながるのであれば。

私は、違ったのです。

私が、時間を忘れて、バカになってできること。おいおい、お前そこまでやるかよと言われること。

いまの企業には無かったのです。


この1年間を通して、得たものは計り知れません。

人との出会いや、自分の殻を破った経験、知識、社会の常識、ルール…。

嫌な経験もたくさん出来ました。良いことも嫌なこともすべて、私の財産です。

たった1年で会社のことが分かったなんて言うつもりは更々ありませんし、口が裂けても言えません。


ただ、「あぁ幸せな人生だったな」と思って死ねるのか?と考えたとき、

私の歩む道は、会社という未来を保証してくれる組織に身を置く道ではないと思いました。

ほんの先も分からない、危険いっぱいの道。

でもそこには、確実に私が追求したいことがある。これで食っていきたい、と思えることがある。


私の中で優先順位が変わったのです。

昔は、お金に困らない安定した生活を送ること、昇進してバリバリ働くキャリアウーマンになることが

最優先でした。欲しいものを欲しいときに手に入れ、仕事の鬱憤を友人とパーッと騒いで解消し、

仕事では心の温かさを忘れない、優しくも強くある、デキる営業ウーマン。これが理想でした。

でも、今一番やりたいことは、勉強です。そのための時間が欲しいのです。

お金や肩書、ステータスよりも、

読書がしたい、語学、哲学、芸術、歴史、宗教…たくさん学びたい。

こんな逆転、私の人生で初めてでした。


生まれてから何不自由ない生活をしてきた私にとって、

お金が自由に使えなくなるなんてこと、あり得ませんでした。

お金を我慢するくらいなら、仕事を我慢しよう。給料日までの辛抱だ!という感じでした。


でも、お金が自由に使えても、人生の大半が楽しくなければ、

自分の人生を謳歌したと言えないのではないかと思ったのです。

日中、嵐のように一瞬にして過ぎ去る時間に追われ、気がついたら夜、帰りの電車の中。

あれ、今日私、何やったっけ。

思い出せない日がいくつあったでしょう。

強烈な虚しさを感じた瞬間が、何度あったでしょう。

電車の中で、突然泣きたくなったこともありました。


私が大事にしていること、譲れないもの。

それは、時間。自分のために使う時間だったのです。

お金を得るために時間を割けない、割きたくない。

じゃあ、どうすれば自分の時間を確保できるのか?


会社という組織から外れることでした。

会社を辞めれば自分の時間を確保できるの?と聞く人もいるでしょう。

もちろん、0が100になるわけではありませんし、会社にいたときには0だった、というわけでもありません。

しかし確実に、増えるのです。

お金は不自由になるけど、時間の自由度が確実に高まるのです。


会社1年ちょっとでやめて、大したスキルも資格もないくせに、どうやって生きていくんだよ!

おっしゃる通りです。私は、何も持っていません。

でも、こうして今もっているものを捨てていき、無に近づくほど、

「生」を実感しているんです。「生きなきゃ」という、この追い込まれ感、不安、恐怖。

やってきたな、という感じです。

そうです、自分と闘っているんです。

これまでの自分がどんどん死んでいくのを感じ、

一方で小さくてもふつふつと何か新しい自分が生まれているのを感じています。


これからは、全ての責任がダイレクトに自分へかかってくる。

これはきっと、会社にいたらなかなか感じられなかったことです。

面白い、やってやろう、生きてやろうじゃん。野垂れ死にするもんか。


これから、私は生きるんだ。

本当の自分の人生を、自分の意思で、動かしていきます。


私の人生は私のもの。


カーリー・フィオリーナ(元ヒューレット・パッカードCEO兼会長)の言葉です。

私はこの言葉に出会い、非常に勇気付けられました。


人は一人では生きていけないし、人生はいろんな人が関わり構築されるものでもあると思います。

でも、私の人生を全うするのは、私ただ一人なんです。

どう生きていくのか、決断すべきなのは、私なんです。


これから多くの困難が待ち構えています。

裏切られたり、ひどい言葉を言われたり…、人間不信になるかもしれません。

でも、決めたんです。

自分の人生を生きるって。

右も左も分からない、甘ちゃんの私ですが、

一歩を踏み出したいと思います。