Twitterでは短くて、気持ちをまとめられないから長くなりそうなのはブログに書くことにした。
最近たまに、幼少期のことを思い出して鬱々となる。家族紹介↓
※私…36歳、女、重度の障害者療養病棟勤務
※兄…3つ上で自閉症と精神発達遅滞
※妹…4つ下で最近、軽度知的障害と判明
※母…4年前に他界
※父…物心ついた頃から別居
※祖母(母方)…毒祖母、今は施設
※祖父(母方)…高次脳機能障害、数年前他界
毎日、母と祖母と私が喧嘩していて、原因は主に、兄のこと、妹のこと、祖父のことと、祖母の理不尽な言動で、私にとって昔から、家は安心できる場所ではなかった。
毎日、学校から帰るのが苦痛で仕方がなかった。
学校でもいい子を演じなきゃいけなかったから、今思うと、私は一体どこで安心感を得ていたのか謎。
家でもどうかなるべく穏やかに時間が過ぎるようにといつも気を張っていたけど、毎日何かしらが原因で喧嘩になってた。
母が唯一の私の拠り所であり、家族の負担を一身に背負っていた母を少しでも助けたいと、積極的に兄のお世話をしていた。
ご飯の時には兄が食べやすいように魚の骨を取ったり、寝る前には歯を磨いたりお風呂に入れたり着替えさせたり、パニックになれば落ち着かせるために試行錯誤したり…他割愛。
だから私の幼少期の家での時間は、喧嘩+上記のことに大半が割かれてたわけだけど、
当時は兄のお世話をすることも仕方のないことだと半ば受け入れてもいた。
ただ、祖母が口癖のように言っていた、『兄は障害があって可哀想なんだから、なんでもやってあげないといけない。やりたい事はなんでも自由にさせてあげないといけない。』っていう考えには納得してなくて、それでよく喧嘩をしていた。
兄は当時、音楽、特にクラッシックを聴くのが好きで、好きなCDを大音量で、しかも気に入った5秒ほどのワンフレーズを何度も何度も繰り返しながら大声で歌っていて、それを家族は祖母の思想の下、受け入れなきゃいけなかった。
せめてイヤホンを付けさせようとしても、そんなもの付けたら耳が悪くなるからダメだと祖母に止められてダメだった。
大音量で数秒のワンフレーズを何度も何度も永遠と聞かされ続ける私達の精神の心配は、祖母の中には入ってなかったんだよね。
ちなみに祖母は難聴なので、そこまで聴こえてなかったと思われる。クソ。
母方の実家に住まわせてもらっていた形だったから、祖母が機嫌を損ねるとすぐに、『じゃあ出て行け!』と言われるから、基本的にどんなに喧嘩しても、最終的に祖母には敵わず、土下座して謝らなきゃいけないことも多かった。
理不尽な事を強要されること、自分の時間がないこと、母を助けられないこと、が苦痛で仕方がなかった。
障害のある兄を将来的に自立させるための関わりもしてなかったから、(祖母の考えは、『兄は家族が見ていくんだ。他人に迷惑をかけるな。』だったから、基本、他人や社会サービスの助けを借りるという発想もなかった。)この大変さがいつまで続くのかと思うと、終わりのないレールが引かれているようで、ゾッとしていた。
早く今世が終わらないかな、と思ってた。
疲れたから一旦終わろう。
書けたらまた書こう。