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Shimapooh, the Kross0va Blog

I don't wanna corssover
just between this genre, that genre.
Between you and I is where I wanna crossover, cross the line.

みなさんは、

「大切な人には、生きているうちにその人がいかに自分にとって大切な存在であるかってことを伝えるべき。」

…そう言われた時、どう思うでしょうか?きっと、「当たり前だろ!」…そう思いますよね。俺も過去の経験上、重々わかってるつもりで実はそう思ってたんじゃないかと思います。(今もわかっているかはわからないけど…)

でも、そう直ぐに思えてしまうということは、その言葉が指す「本当の意味」をちゃんと咀嚼し、身に染みて理解することと、また別なことなんだと思います。
普段の生活において、人はどこかで自分の人生において大切な人は当たり前のように存在していて、ずっとこの先も一緒にいることが当前のように確信をしているもので、その人を喪うことなんて想像することなんて非常に難しいものなんだけど、確実に「お別れの日」は容赦なく、しかも不条理にやってくるという事実もあることを同時に知っておかなくてはいけないことのように思う。

昨日、細かくは書かないけど(「書けない」と言った方が適切かも)、そのことについて考えさせられる出来事がありました。

大切な人を喪ってから遺された人は心と記憶でしか、その人に話しかけることしかできません。
そしてそのことばに対する返事は直接本人から二度と聞くこともできずに、想像や想定の世界でしか対話をするしか方法がありません。

「大切な人には、生きているうちにその人がいかに自分にとって大切な存在であるかってことを伝えるべき。」という「決まり文句」の背景には、それを真に体感し、経験した人々の「ことばにならない言葉」なんだろうと思う。
…それを真に理解することは可能でないにしても、大切な人が生きている間にそれを意識し少しでも多く伝えることは非常に意義がある行為だな、と改めて思います。本当に。

言葉というものは、何度も言うけれど本当に不十分な器にしか過ぎないけれど、それを用いて大切な人とその言葉以上のことばを生成できる現実がある現在を過ごせるということは、本当に感謝すべき「奇跡」だと思う。だから今いる大切な人に少しでも対話を通して色々伝えていきたいと改めて感じてます。そしてこれを読んでくださった人の中で少しだけでも共感して頂けたら嬉しいと思ってます。
「私はたくさんのことを闘病生活とかから学んだ気がするのね。母親として、人として、個人として…◯◯がもういないのは寂しいけど、私はこれから精一杯恥ずかしくないように生きるつもり。◯◯に笑われちゃうからね、いつまでもメソメソしてたら…」

…これはあるわが子を亡くした母親が語った、俺が忘れられない言葉のひとつです。
このことばは、字義どおりの言葉以上の意味が読み解ける非常に大きな意味を持つ言葉だと感じる。
「喪失」をテーマに研究を進めるにつれて、「何故多くの人は『死』というものから『生』を学ぶのか」という疑問に対する一つの解釈がようやくだけれども少し、本当に少しだけ最近垣間見えたような気がします。

「死」というものは、我々が生をこの世に生を受けた時に既に宣告をされているもののひとつであり、ひとつの摂理として我々が捉えている客観的事実の一つであることは確かなんだけれども、それでも他者の死…とりわけ「二人称的関係を持つものの死」はその「あたりまえの死」に対してそれ以上の意味が生成されることもまた事実。

エリクソンの生成継承性(generativity)という概念があるのだけど("generativity"は、"generate"と"generation"のcompound word)、これには二つ大きく意味が含まれていて、一つは生成する、新しいものを生み出すという意味があって、創造性、生産性、生殖性と近い概念とされ、もうひとつは世代継承・世代を超えて伝えるという意味があるとされているらしい。

もともと生成継承性はケア(世話をする、育む、育てる、看取る)力を生み出すとされていて、例えば子どもを産んで育てることから始まって、文化を伝承したり、人に何かを享受することは、つまり世代間への相互実現をもたらす営みであり、世代の確立とそれを導くことへの感心とされていて 「停滞」と対立する形の概念として主張されてきたみたいなんだけど、この視点は「喪失」というテーマを読み解くにあたっても大いに当てはまる部分がある。

「大切な人の死を看取る」ということは、「死」そのものに含まれない意味が死に行く者とそれを看取る側との間に生成されているように思える。死に行く者からの言葉、愛情などの「何か」をきっかけに、それが生者へ継承され、意味が見出され反映し、それを基にケアを行なう…といった生成継承的サイクルが確かに発生しているように思える。

一番最初に書いたある母親の言葉は、喪失したわが子の死から生のなんたるかが継承され、それを自身に反映さた後に生成された、言葉なのかもしれないね。

生きるということは、意識的にせよ無意識的にせよ、死者の「遺産」などをこのようにして受け継いで、それを解釈しその継承されたものを第二の生、つまり次の世代に伝えていくことなのかもしれないんじゃないかと思う。

俺もそういうことを積極的にしていきたいなって思うな!

今日は大学院の副指導の先生と、そのゼミの研究生たちと一緒に「仮提出お疲れ様会」という名のプチ打ち上げに行きました☆

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…実は同じ研究科の仲の良い中国の友達が、ちょっと理由があり12月後半まで中国に帰って執筆をすることになってしまって、急遽明日立つことになってしまったんです。だから最後の晩餐(…って最後じゃないんだけど)も兼ねての打ち上げ参加。…正直、別に二度と会えないわけじゃないんだけど、少し寂しいのは事実。

中国は情報規制があるので、googleやtwitter、facefookなどのサーチエンジン、SNSが一部使えないので、日本の研究をしている彼女にとっては少々文献集めにも困難が生じる可能性があるだろうけど、同じ研究生として、友達として、また個人として出来ることは些細なことかもしれないけれど、遠慮なくメールをくれればと思っています。必要な時は躊躇せずにメールくれればって思うよ!出来る範囲で出来る事を最大限にします。


…本当にこの大学院に入ってよかったなってつくづく思うんだよね最近。
頭が良い人達に囲まれて、話すのはでも勉強の話だけではなくて、悩みとか、くっだらない話とかもできて、ゲラゲラ笑ったり、悩んだり、ちょっとキレてみたり、泣いたり…気がついたら「二人称的関係」ができてて、自分を構成する一部になってるよ!彼らとのコミュニケーションは、いつも与えられるものが大き過ぎて、返せないから悩んでしまう程です(笑)

「社会貢献」もそうだけれども、誰かに「貢献する」ということを可能にするには、自分の成長なしにはまず成し得ない業だと俺は思います。だから、みんなに与えてもらっている分、与えられることができる存在になる為に、その「学び」を更に自分で展開をして身に付けて、今度はそれを還元できるようにしないとね(笑)(できんのかなーw)

とにかく!久々にみんなと話してモチベーションが上がったし、更にみんなが大好きになりました!(笑)←これ結論。

さ、本も読んだしねよーっと!おやすみなさい!



というわけで湊かなえ著「告白」を読み終わりました。一日かからないで読んでしまった(笑)(´ω`)
本当は一昨日ブログに感想を書こうと思ったのだけど、少し考え事というか、なんでこの小説は「好き」と思ったのか、何がここまでツボなのかって思っていたら、なかなか文章がまとまらずに(今もなんとなーくな感じなんだけど)、現在にいたってしまった(笑)…

俺は映画をきっかけに原作を読もうと思って読んだんだけど、小説の方が好みなんです。

他の人はこれを読んでどう感じたのかを少しレビューをみていたんだけれども、あるレビューに

「『告白』はぶっちゃけ小説としては完成された代物ではないと思う。特に一番重要な2つの“告白”シーンが口語体によって表現されているので、それ以外何が起こってるか分からないという致命的な弱点がある」

と書かれていた。
…別にこのレビューを書いた人の本作品に対する主観的な好き嫌いを批判つもりはないし、「小説としては完成された代物ではないと『思う』」と思考を述べているだけだからいいのだけれども、「一番重要な2つの“告白”シーンが口語体によって表現されているので、それ以外何が起こってるか分からない」ということを「致命的な弱点」と挙げていることが少し気にかかる。

「告白」という小説はほぼ全て(全部と断言したいけどそこまで読み込んでいないため「ほぼ」と付ける)個々人の「告白」や「独白」によって物語が展開され、それらを紡ぐ作業は読み手に託されているような作風のものなんだけど、「(告白内容のみで)それ以外何が起こってるか分からない」ということを理由に完成された代物でないと述べてしまうのは、「この人は本当に本を『読む』」ということをしているのか?と疑いたくなってしまう。
そしてその内容に安易に賛同してしまう人はきっと、小説や文学にコミックブック的な「頭を使わないわかりやすさ」を求めているのではないだろうか。とも思ってしまう。
案の定、レビューの一部には「原作では書かれてあることが全てであって、そこに他の解釈が入る余地はない」とあたかもそれが客観的事実であるかのように書かれていた。

…本とは、書かれていることが全てなのだろうか?それを安直に言えてしまうのはつまり、文章をただ単に認知され心内音声化しているだけの認知的読書を行なっており、それのみで本の内容を理解しようという作業を単にしているだけのように思えてしまう。現に、本を読んでいるときの脳の動きを見ると、考える場所より聞く場所の方が多く活動しているそうだ。しかし言葉というものは本来、ましてや作品として作者から離れたものは特に、そこにある記号の意味は、読み手とのインターアクションによって生成されていくように思える。(それが普遍的な意味であるとは限らない。記号のもたらす意味は恣意的であると感じている)

バシュラールも述べるように、知覚することと、想像することは分けて考えるべきであると思う。
文字媒体を例に挙げれば、文字という記号に対し、読み手である我々がそれらを知覚しそこで得たイマージュから古い既成イマージュへの固執からの解放、つまり文字から登場人物の人物像であるとか状況を創り上げることをして初めて「読む」という作業ができていると言えるのではないかと考えられる。

作品はそれ自体ひとつの個のうちに閉じ、そこに有限の意味を内包しつつ完結した存在としてとらえられるものであるが、逆にテクストとは、そこでさまざまな言語活動が生じ、意味が生成されうる、開かれた"場"のようなものである(松島,2007)

つまり小説を含むあらゆる作品は、一つの完結した存在であると捉えられると同時に、それが作者から「はなれ」、他者に公開された場合、それは他者にとって開かれた場であり、決して「書いてあることが絶対」ではないことが言えるのではないだろうか。

この開かれたテクストにおける言葉の「意味」であるとか、「意味」を知覚を通じた想像力で読み解こうとすることが本…特に小説とかを読むにあたっての至高(思考)の作業だと俺は思うんだけどな~…それを怠惰に安易に「目に見えるもの」をそこに求めたら、それこそ「文学は死んだ」って言える時じゃないかと思ってしまう。

いずれにせよ、個人的にはこの「告白」という作品は前述したように個々人の「告白」や「独白」によって物語が展開されてて、それらを紡ぐ作業は読み手に託されているような作風故にテクスト(場)の開き具合が広いと感じられる作品だと思うから、それを「わかりにくい」と感じるか、広さ故にいろいろな解釈ができて「おもしろい」と思うかはわからないけど、是非読んでみて欲しい一作品だったよ!




( ・(ェ)・)ノボンジュール

ってことでこの3日間位、修士論文の仮提出があり怒濤の三日間を送っていました~(´・ω・`)
まじ死ねたわ~病んだ(笑)。提出2日?1日に前に指導教授からの大展開メールが届き(ここでは詳細は伏せるけどかなり心が荒んだw)、まとめと分析を必死に学校に泊まり込みで執筆してたよ!まぁ深夜になるにつれてみんな「いけるんじゃないか症候群」(夜中になるにつれて、大丈夫なんじゃないかって錯覚に陥るやつ)がおきて、くっちゃべったりしてた時間もあるんだけどね(笑)でもなんか修学旅行の夜中っぽくて楽しかった!
今の大学院にいる人たちは、みんな頭もよくて、良い意味で研究がかーなり違う人が多いから話しててすごく刺激的なんだよね!くっだらない話とかもするけど(笑)本当にいい友達にめぐまれてますよ☆


Shimapooh, the Kross0va Blog-論文


なにはともあれ、頑張るに頑張って50頁位、4,300?4,4000字になんとかまとめて今日提出してきましたー。いや~病んだわまじで。
今日帰って久々に体重計にのったらこの一週間とかで3~4kg痩せました。良いダイエットですね、論文執筆って(´ω`)…痩せたい人は書いたらいいと思うよ(笑)

「喪失と生の学び:子どもを喪失した母親の成長」ってタイトルで執筆してるんだけど、これがまた英訳が難しいもんで、一応英語はできるほうなんだけど、日本語には言語においていわゆる現在完了・過去完了形っていう時間概念を表すものってないじゃない?だから分析結果によって"lost"なのか、"have lost"なのか"had lost"なのかって決めなきゃいけないんだけど、個人的にはわが子の肉体は喪失してもその存在や精神的繋がりはあるわけで、「死者と共に生きる」わけだから"have lost"が妥当だと思ったんだけどな~(´・ω・`)…先生が現段階では"lost"でいいって言うから仮提出ではこれで出しといた!まぁなんかあったらマイナーチェンジはいいっていうし、先生が言ったことだしね(責任転嫁w)(笑)


…そういえば、さっき痩せたって言ったけど、その原因がストレスなのかなんなのか食欲が全く無くて、自分でもやべーんじゃねーかって思ったのでチャプチェを作ってみたぜ☆本当はチャプチェの麺を使いたかったんだけど、どこにも売ってないから春雨で代用。


Shimapooh, the Kross0va Blog-チャプチェ


胃が痛くなるのを恐れて薄味にして、吸い物と一緒に食したんだけど、めっちゃうまかった!俺は良い主夫になることまちがいないだろう…(´ω`)ってことでだれか借り暮らしさせてください、借り暮らしのシマッティー。


そして最近、小太郎が何をするわけではないけど背中に乗るようになりました。


Shimapooh, the Kross0va Blog-小太郎


かわいいじゃねーかちくしょー( ´_ゝ`)。
ごろごろしながら本を読んでる時とかによく乗ってきます(笑)ここ最近甘えたがかなり表に出てくるようになってるな、かわいい奴ですよ本当(笑)


ってことで怒濤の3日間は終了し、明日からまた自分のペースで執筆ができるーーーー!!!!!
でも今日明日は大したことをせずに読みたかった本を読みます!それがこちら!!!


Shimapooh, the Kross0va Blog-大江健三郎



大江健三郎!名前はノーベル文学賞受賞者で有名だし知ってたんだけど、恥ずかしいことに読んだことなくて、ある論文に「空の怪物 アグイー」の一節が引用されていたことをきっかけにちょっとこれ俺の研究に重なるじゃん!ってなって早速読んでます。


君はまだ若いからこの現実世界で見喪って、それをいつまでも忘れることができず、その欠落の感情とともに生きているという、そういうものをなくしたことはないだろう?まだ、きみにとって空の、数百米ほどの高みは、単なる空にしかすぎないだろう?しかしそれは、いまのところ空虚な倉庫ということにすぎないんだ。それとも、今までなにか大切なものをなくしたかね?(大江,1996 p.283)


…素晴らしい。完璧な一節だと思うここは。このブログを読んでいる人の中で、なにかこの一節に胸騒ぎを覚える人は僕と握手!(笑)


湊かなえの「告白」も映画をみて名作だと思って読みたくて手元にあるんだけど、先に大江さんにしようと思います~☆でも大江健三郎のは分厚いから通学途中に告白は読むってのもありだな!

明日は後輩の勉強会のアドバイザー?そんなたいしたもんじゃないけどいってきまーす☆
今日は昼から学校で論文!…と思ったんだけど、最終日でミッツマングローブと大東なんとかって俳優?とブルボンヌ(この人二人誰だか知らないんだけど誰だか知ってる?)が学校に来るって聞いて見に行って、そうしたら屋台とか写真とか絵の展示があったりとなんだかんだ夕方まで結局学祭見てまわっちゃった

…(´・ω・`)余裕ないのに…まぁ、今日寝ずに論文命掛けでやりますよ。まじで。(じゃなきゃ殺される(((( ;゚Д゚))))
…まぁその前にブログ書いちゃうけどね!(笑)

さて、ミッツとかの写真をとりたかったんだけど、人がいて小さくしか写らなかったし、映画館によく出てくるこの人がいたのでそれ以上はやめておきました。


Shimapooh, the Kross0va Blog-盗撮防止!


場内カメラ撮影禁止マン!!!

…いや、実際ミッツの写真撮影禁止を促す為にいるんじゃなんだけどね。
(正直少し遠かったしそこまで写真撮りたいと思わなかったことは内緒)
彼の写真撮る時、しっかりポージングまでしてくれたんだけどさ、そこは注意(逮捕?)してほしかったよね。(´・ω・`)でもいいもの見れた!

今日の学祭は友達のマサノリ(仮名)くんとまわってたんだけど、まわってる途中にマンガ研究会?マンガ同好会?のやっている「似顔絵書きます」ってやつがあって、似顔絵をアニメ?マンガ?っぽく描いてもらえるコーナーがあって、初めて似顔絵を描いてもらったぜ(`(エ)´)ノ彡☆


俺がマンガのキャラになったら、こうなりました。


Shimapooh, the Kross0va Blog-マンガになった俺


か、かなり美化されてる!!!Σ(´ω`)実物ほどとーいやんけーーーーー!!!(笑)
でもほら、マンガって夢がなきゃだめじゃん?!それにあくまで俺が二次元化されたらの話だから、三次元のリアル俺は関係ない!o(´□`o)ぽんぽん!

…書いてくれた人はそのマンガ研究会?の前部長さんらしくて、似てる似てないは関わらずかなりの腕前の持ち主だった!この絵、たったの15分?20分とかでさささっと描いちゃったんだよ!?すげー(´ω`)

描かれてた時は顔をがん見されて非常に恥ずかしかったんだけど、コスプレしてる人たちを観察したり、話し相手役(キャバクラみたいに描いてもらってる間隣で会話をしてくれる人)がいたから話をしたりして気を紛らわせてましたw…なんか俺もコスプレしたいな。何がいいだろ?やっぱプラグスーツかな(笑)いつか実現させる!


…とまぁ今日はそんな感じです。今から朝まで論文がんばりまーす☆
前回、「己の非力さ」を書いたせいか、顔が暗くなってたせいなのか、心配をして電話やメール、話を聴いてくれた人、本当にありがとう。おかげさまでなんとか前を向くことができるまでに回復したよ!
特にカズ(仮名)、助かりました。「ありがとう」って言葉という器では本当に表現出来ない程に感謝してるよ、本当に。

…あれ?カズのことをちゃんと書くのは初めてだっけ?
まぁとにかく、カズは大学院入学時にその「今風さ」故に一番仲良くなれないと思った人なんだけど(俺は大の「今風恐怖症」なんです。)、な~ぜか今では一番仲良いって言っても過言じゃないくらいの存在の奴です(「腐れ縁」とも言う)。

普段、悪い癖ではあるんだけど俺は主観的で良い部分を客観的に分析しようとしてしまう思考が常に働いているようで、あんまり「本当の感情」や「本当の思い」は主観的や本質的であればある程出さないし、出したとしても理論や論理を用いて客観的にした後にしか出せないっていう面倒くさい一面があるんだけど、彼はそんな俺の「本当の感情」を察してなのか、一番言って欲しい言葉であり、一番言って欲しくない言葉をくれる「数いる友達の中の友達の一人」なんです。だからか、本当に辛い時に「辛い」って普段よりも素直に言えちゃうんですよね、彼の前では。強がんなくて済むというかなんというか。「それでいいんだ」って思わせてくれる奴なんです。

「人知れず辛い道を選ぶ、私を応援してくれる あなただけを友と呼ぶ」って一節がある歌にあるんだけど(これがなんだかわかったあなたも友と呼びますw)、彼はまさにTHE ONEって感じかな。

ホントつくづく、自分は恵まれてるな~って思う。カズを含めた友達だけじゃなく、家族に対してもそうだし、もう此所にはいない故人たちにも、沢山の知識を与えてくれた先人達にも…ってかこの25年間生きてきた中で、「自分」というものを構築してくれたみんなに感謝してもし切れないって思うよ、本当。

「己の非力さ」、「無知さ」…今回「言葉」というものを中心にそれらをひしひしと感じているわけだけれども、それに足止めをくらってちゃ本末転倒だよね。人は本来、それ故に更なる「真実」を求めてより深いところまで知ろうとするわけだから。それを背中にひしひしと感じながらも、それでも尚少しでも前に進もうとすることこそ「学ぶ」という作業であって、それに足止めをくらって何もできずにいることは、即ち自分が求めている「真実」に対して近づくことを止めようとしていることに等しい。

だから宮沢賢治ではないけれども、どんなに辛く険しい坂道だとしても、その先の「誰も見たこともない絶景」を見るために頑張って坂道をこつこつと登って行きたいと思ってます、そしてそれを可能にしてくれるのは自分ではない大切な他者であるということを改めて感じましたよ☆みんな、愛してる!(笑)




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って真面目な話はこれくらいにして、ここ数日のことをショートショートで伝えて行きます。

先ず、復活に至るまでにかーなり顔がやっぱり死んでたようで友達から「生気無き少年」ってタイトルでこんな画像が届きました。


Shimapooh, the Kross0va Blog-生気無き少年


目、目が死んでるw…何もしたくなくて友達の家でテレビ観てる時に激写されたやつらしいけど、俺、ついこないだまでこんな顔で学校にいたんだろうか?そりゃー俺も友達がこんな顔してたら心配するわ(笑)

でもどことなくこのアンニュイさがツボで、そっこーツイッターのアイコンに設定(笑)
ちなみにある人からは「(多分博物館とかにある人間の進化の過程にある)原始人みたいだね」って言われました。


…はい次ぎ!今日は大学の文化祭でした!いたるところに「今風」な男女が沢山いて怖かったです。
危うく唐揚げを押し売りされそうになりました。彼らのオラオラパワーはどこからくるのでしょうか?すごく怖いです、明日もわんさかいることでしょう…憂鬱(´・ω・`)


…はい次ぎ!そしてゆーや(仮名)の奢りでくげ(仮名)と池袋にあるLay's Union Cafeカフェというところに行きました!


Shimapooh, the Kross0va Blog-カフェ


これで650円?とかだよ!ココナッツラテ&クリームチーズケーキのセット!うまうまでした☆ごちそーさまです(´ω`)ちなみに17時半までは平日ドリンク半額ですよー☆是非足を運んでみてくださいな。お気に入りの場所で良く行くんで運がよければもれなく俺に会えますw




…以上!









経験をことばで語ることはとうていできない。不可能といってもよいかもしれない。流れ去っていく川の水を小さな手で掬いとろうとしても大部分がこぼれてし まう。掬った水をバケツに入れても、すぐに死んで濁ってしまうから流れていた川の水とは似ても似つかないものになってしまう(やまだ,2007)

自分ではない他者の悲しみやそこから『学び得たこと』を理解しようとして完全じゃなくとも、少しでも近付こうとする作業は、 己の非力さや、言葉というものがそれを表現するにいかに不十分な器であるかという事を知識でなく経験的に『知る』ことなのかも。

「大切な人の喪失から学ぶことはある」って自分でも経験してわかってるし、今回の論文で取り扱う子どもを喪った母親たちもそう言ってる。でもそれが一体何なのかが言葉にできない。
ことばをどんなに掬おうとしてもこぼれて、掬ったと思ったらしばらくしたら本当に死んで濁ってしまう。寧ろ、濁らせてしまっているような気がする。
そして伝えたいことも、ことばは不十分な容器にしか過ぎないということを真に感じずにはいられない程にそれを表現することができるものが見当たらない。思いは募るばかり。

何かをことばで語るという行為は、ことばの不十分さを自覚しながら、それでもいくぶんかのことばを紡いでそれで何かを伝えようとするアクチュアルな実践っていうのはわかってたつもり。だけど「不十分さの理解」を本当の意味で「知る」ということの難しさや苦痛は、知識ではないということを今体感してます。


本当に自分が非力で情けない、本当に悔しい。


ただそれだけ。

あ~ぁ、誰か胸かしてくんないかな。肩でもいいや。最近、絶不調です。まじで。

今日は午前中に論文を集中してやって、夜に友達の家に鍋をしに行きました~☆
鍋自体あんまり食べたいな~とか正直思わない方なんだけど、「仲良い人と鍋」って雰囲気が凄く好きでお邪魔しました(笑)しかも鍋自体は三名でやって、途中で1名加わっても4名様っていうかなりの小規模(笑)

さて、今回の鍋の味は、とんこつ醤油味!

Shimapooh, the Kross0va Blog-鍋


…どんな味だよ(笑)っておもった貴方!美味しいから試してみてくださいな☆俺も初めて食べたけどすげーうまかったよ!でもそんな鍋が…


Shimapooh, the Kross0va Blog-鍋


グリーン鍋…(笑)…いや、肉とか買ったんだけど入りきらなくてとりあえず野菜を食べてからってなったから、結果こんなベジタリアンみたいな鍋になってしまったんだよo(´□`o)ぽんぽん!後にちゃんと肉とか豆腐とかもいれたぜ☆

そして締めはちまたで噂の「煮込みラーメン」!!!


Shimapooh, the Kross0va Blog-煮込みラーメン


みなさんこれ知ってます?俺は知りませんでした、友達曰く「和◯アキ子が宣伝してたじゃん一時期!」って言ってたんだけど観たことね~(笑)
でもこれかなり画期的で、鍋で煮込んでもちゃんとコシがあってまじうまかった(=´∇`=)!とんこつ味の鍋だったから、もはや後半はラーメンになりました(笑)


んで喰い終わった頃にもう一名様のSMZ君が到着して、彼が買ってきてくれたハーゲンダッツを貪り(ごちそうさまでした!)、酒飲みながらトランプをして、くっちゃべって~っていうかーなりユルい集まり(笑)…まぁその空気が好きなんだけどね☆楽しかったー!!!

またやろーね!(`(エ)´)ノ彡☆

今日は青山にある美容師の友達に髪を切ってもらいました~☆

今回はショートにするってことは決めていたのだけど、細かいことはその場で考えようと思い友達と相談した結果こんな髪型になりました!


Shimapooh, the Kross0va Blog-new look


…嘘です(笑)

これはちょっとクセ毛になってる部分を軽く自然なストレートにしてもらってる時に、その過程に余りの滑稽さを感じて一緒に撮った一枚(笑)…そしてこの格好でタバコを外で吸っていたというシュールな俺(笑)…ちょっと早いハロウィーン到来@青山o(´□`o)歩行者の視線が痛かったぜ( ´_ゝ`)まさにNEW LOOK。。。



気がついたら三時間もやってもらっちゃって、本当毎度毎度助かってます、ありがとSさん(・∀・)ノ!
そして仕上がりは…


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後ろの襟足を刈り上げて、こんな感じになりましたとさ!
初めて挑戦したからちょっとバリカン出された時はドキドキしたんだけど、さすがSさん!さんきゅー☆

友人・家族にもなかなか好評で個人的にも満足満足!