
先日、村田町にある村田町歴史みらい館を見学したついでに、 隣にある村田城跡を歩きました。 こんな夏場、 しかも予備知識なしで行ってしまったので、あまりよく分からなかったのですが……

こちらは主郭北側の平場の様子。 村田城跡は中世の村田氏の居城と伝えられており、 江戸時代には「村田所」と呼ばれ、藩内では「城」「要害」に次ぐ「所」という重要な施設として存続しました。 最高所が標高57メートルの丘陵上に造られた城郭です。 天正19年、伊達政宗の側室である飯坂の局が岩出山に向かう途中、 この城で後に宇和島藩主となる秀宗を生んでいます。

こちらは主郭。なかなか広いです。 平成3年に行われた発掘調査では、掘立柱建物跡などがみつかったそうです。 また、かつて展望台(現代のもの)があったそばでは空堀跡が発見されたそうです。 主郭の南東の丘陵ふもと部分には現在小学校がありますが、 そこは二の丸と呼ばれる部分で、平成20年から発掘調査が行われ、 掘立柱建物跡や井戸跡のほか、陶磁器・下駄・刀装具、鉄砲玉などの遺物が出土したそうです。

主郭から東の眺め。 昭和49年刊行の、村田町教育委員会編『村田町史 青少年版』には、慶応二年ごろの村田館周辺の概要図(出典不明)が掲載されていますが、城の東側には水路(濠?)と池があり、侍屋敷に面した広小路から城の大手門へ行くには、この水路にかかる橋を渡る必要があったようです。 また、城の西側には現在も空堀が残っているようですが(私が行ったときは公園の改修工事で見れませんでした)、概要図ではそれがぐるっと南側まで続いているように描かれています。 もちろんこの図がどれだけ正しいのか不明なのですが、なんだか興味深い資料です。

主郭南側直下からつづく南側の平場の様子。 さらにこの奥、一段下にも小さな平場状の部分があります。 全く何もわからずに行ったのですが、けっこういろいろあり、面白そうなお城です。 でもやっぱり冬場じゃないとだめみたいですね……。