
きょうは、 福島県伊達市で行われた、梁川城跡の第30次調査の現地説明会に行ってきました。 梁川城跡は、天文元年(1532年)に伊達稙宗が桑折西山城へ移るまで、伊達氏累代本拠の城でした。 梁川城跡の周囲には、輪王寺跡・安養寺・東昌寺など、仙台でもおなじみの名前があります。 そしてお城の南を流れる川の名前は広瀬川。 これまでの調査では、本丸跡の建物群、武家屋敷跡、寺院跡などがみつかっています。 気持ちのいい晩秋の快晴。 現説にはもってこいの天気です。

梁川城跡の本丸は旧梁川小学校の場所(震災後、小学校は他の場所で再建中)ですが、 今回の調査地点はその北東にあたります。 この場所は、地籍図等で方形に区画された地割りが確認されていて、平成23年度から確認調査が継続されているそうです。 これまでの調査では、区画溝や掘立柱建物跡がみつかっているようです。 今回の調査でも、区画溝とみられる溝跡がみつかっていますが、この遺構について新しい発見があったそうです。 上の写真は20トレンチの様子。 奥の調査員さんが立っているところが溝跡です。手前側は土塁。

この区画溝は3回のつくり直しが行われていることが確認されました。 このうち、16世紀前半に行われたとみられる作り直しでは、溝跡が真北を意識したものに変えられていることが分かりました。 上の写真は、21トレンチの様子。 調査員さんが指し示しているのが、真北を基準にしたとみられる東西方向の溝跡断面。

今年度みつかった掘立柱建物跡、そして昨年度の調査でみつかっているやや大型の掘立柱建物跡も、建物方向が真北を意識しているとみられています。 この16世紀前半は、伊達氏の権威が高まっていた時期とされ、これまでの発掘調査でも、庭園跡や多くの建物跡がこの時期につくられていることが分かっています。 今回の調査成果は、この時期に、本丸の北東にある区画溝に囲まれた街並みに対し、真北方向を基準にした新しい街づくりが行われたものとしてとらえられています。

こちらは、出土品見学コーナー。 今年度と昨年度の調査で出土した遺物が展示されました。 青磁・白磁・染付などの破片のほか、 伊達氏関連の遺跡でよく出土するとされている越前焼もみつかっています。 越前焼の破片の中には、ひび割れた部分にウルシで継ぎを入れているものもありました。

【参考文献】
伊達市教育委員会 2014 「梁川城跡平成26年度現地説明会資料」
伊達市教育委員会 2014 「梁川城跡平成26年度現地説明会資料」
次回は梁川城跡の桝形等の写真をご紹介します。