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きょうは、
宮城県の南部に位置する山元町で開催された、
合戦原遺跡の現地説明会に行ってきました。

調査では、34基の横穴墓をはじめとする多数の遺構・遺物がみつかりました。
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合戦原(かっせんはら)遺跡は、山元町高瀬字合戦原にある遺跡。

集団移転と災害公営住宅の建設事業に伴って事前の発掘調査が行われています。

発掘調査は山元町教育委員会によるものですが、調査には宮城県からの応援職員のほか、山形県・岐阜県・新潟県・奈良県・福井県から派遣された応援職員も参加しています。

現地説明会はあいにくの雨の中行われましたが、
200人近い多くの人びとが集まりました。
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横穴墓は、古墳時代後期から奈良時代にかけて造られたお墓の形式です。
丘陵の斜面や崖をトンネル状に掘り込んで、その奥に遺体を埋葬しています。

同じ横穴を利用して、何度も遺体を埋葬される事があることから、有力者の家族墓とみられます。

古墳と違って単独で存在する事はほとんどなく、
この合戦原遺跡のように何十基もまとまっている例も珍しくありません。
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横穴墓の内部や入口・入口外側からは、多くの副葬品や墓前祭祀に用いられた遺物が出土しています。

こちらは、32号墓の前庭部の遺物出土状況。
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ばらばらに壊れた土器の破片を復元するとこのようになります。

多くの須恵器がみつかっており、東海地方の湖西窯でつくられたうつわもあります。
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こちらは鉄刀と蕨手刀。

遺物はいろいろと出土していますが、葬られた人骨は見つかっていないそうです。


震災からの復旧・復興にともなって、
被災地の各地で事前の発掘調査が行われ、地域の歴史が次々に明らかになりつつあります。

「考古学とは地域に勇気を与える学問である」

考古学者の故・森浩一先生が何度も語った言葉。

震災から4年目をもうすぐ迎える今、とても心に響く言葉です。


【参考文献】
山元町教育委員会 2015 「宮城県山元町合戦原遺跡発掘調査現地説明会資料」