
京急三崎口駅から北へ2kmほどの所に、和田義盛旧里碑があります。 前々回にご紹介した和田朝盛の墓がある日枝神社からは、西へ1.5kmほどの場所です。 上の写真のように、神社の境内に碑はあります。

和田義盛といえば、鎌倉幕府の侍所別当に任ぜられ、北条氏との対立の末いわゆる「和田合戦」で非業の死を遂げた人物として、教科書にも載っていますね。 この石碑は、和田義盛をしのんで地元の方たちが大正10年に建てたもの。 比較的新しい碑です。

となりにはこんな碑も建っています。 水の少なかったこのあたりで、明治時代に職人さんを呼んで井戸を掘った記念の碑。 明治30年に建てられたもの。 面白いと思ったのが、建立年の下にあるこの文章を書いた人の名。 「横州諌人間宮仙桂撰并書」 と書いてあります。 「相州」ではなくて「横州」なんですね。 そういう言い方があったのでしょうか。

碑の裏には、発起人と職人さんの名前。 わざわざ千葉の君津郡から井戸掘り職人さんを呼んだんですね。

和田義盛旧里碑からさらに西へ行くと、このような碑がありました。 「和田城址」 写真が逆光で見難くなってます、すみません。 となりには「和田城址」の説明版が。 説明版によると、特に遺構らしいものはまだ発見されていないようですが、付近に「木戸脇」「唐池(空池)」「出口」「赤羽根」「矢作」などの地名があるそうです。 木曽義仲の妾であった巴御前が義盛に預けられ、ここで余生を送ったのだとか。 「和田城址」とは言っても、居館のようなものでしょうか。 あたりは海も近く比高差もあまりありません。道路を挟んで向かい側にある高校の敷地は、東側から舌状に張り出すように若干高くなってはいます。