
昨日は栗原市の伊治城に行きましたが…… きょうは、 宮城県の南部にある山元町で行われた、谷原遺跡と湧沢遺跡の現地説明会にいってきました。 2つの遺跡は南北に隣り合って発見されており、常磐自動車道建設工事にともなって発掘調査が行われています。 福島県へと続く予定のこの道路は、東日本大震災からの復興にとって重要な道路として位置づけられており、発掘調査も山元町と宮城県が分担し、さらに他県から応援のために派遣されてきた文化財関係職員も参加しているそうです。 まず北側にある谷原遺跡から見学会は始まりました。 谷原遺跡では、約4500年前の縄文時代後期初頭の環状集落跡が発見されました。 平成22年に行われた調査の結果とあわせると、環状集落がまるごと掘り出されたことになりまります。 縄文時代の環状集落跡は各地で発見されているのですが、この遺跡の特徴は、竪穴住居跡がなく、掘立柱建物跡によって構成されている集落である点にあります。 58棟もの掘立柱建物跡が円形に配置されており、その内側と外側には52基の土坑が広がり、建物群の外では穴に据えた土器の中に石を敷き詰めて火をたいた跡も見つかりました。 また、この遺跡では中世の遺構も多数発見されており、100棟以上もの中世の掘立柱建物跡が確認されています。

こちらは遺物見学の様子。 この日は雲も少ない青空。 暑いので天幕の中で説明して頂きました。

こちらは、湧沢遺跡。 上記の谷原遺跡とは、道路と細い川を挟んですぐ南側なのですが、遺跡様相は大きく違っています。 平安時代前期(9世紀代)の竪穴住居跡15棟のほか、10世紀代に多量の土器(坏)を捨てた跡などがみつかっています。 また、ここでは土器を捨てた穴の近くから、平安時代の青銅製の鏡(八稜鏡)も出土しました。 上の写真は、近世の鍛冶関連の遺物がまとまって出土している場所。 川の近くから、鉄滓(鍛冶作業で出る鉄のカス)、羽口(炉に風を送り込むフイゴの部品)が大量に出土しました。 江戸時代後期のものとみられていますが、見学会に来られていた近隣の方のお話では、大正時代ころまでこのあたりに鍛冶屋さんがあったそうです。 谷原遺跡と湧沢遺跡。 隣り合っていながらそれぞれに特徴的な2つの遺跡の調査成果は非常に興味深い内容でした。 とくに谷原遺跡の縄文時代後期の環状集落跡は、今後の縄文時代集落研究にとってかなり重要な資料になりうるのではないかと思いました。
【参考文献】
宮城県教育委員会・山元町教育委員会 2012 「山元町 谷原遺跡・湧沢遺跡現地説明会資料」
宮城県教育委員会・山元町教育委員会 2012 「山元町 谷原遺跡・湧沢遺跡現地説明会資料」