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きょうは、
多賀城市で行われた、山王遺跡多賀前地区の発掘調査現地説明会に行ってきました。

朝方は少し天気が心配だったのですが、きれいに晴れました。

この調査は、三陸沿岸道路仙塩道路の4車線化にともなうもので、約6000㎡という広大な面積が対象となっています。

被災地の沿岸部の復興に重要な道路と位置づけられており、調査を迅速に行うため、調査主体である宮城県教育委員会の職員のほか、山形県・埼玉県・山梨県・新潟県・神戸市などから派遣された職員も調査に参加したそうです。

写真は、調査区を北から撮影したもの。
現在2車線の三陸沿岸道路に沿って、細長く調査区がのびています。
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山王遺跡は、奈良・平安時代に古代国家による東北地方支配の中枢であった陸奥国府多賀城の南に広がる遺跡で、直線道路によって碁盤の目状に区画された街並みがみつかっています。

古代国家の支配領域の周縁部であった場所に、このような都市が存在することは、古代史上非常に重要な意味を持っているといえるでしょう。

今回の調査区は、多賀城の街並みの中でも南東部にあたり、身分の高い役人が住んでいた国司館跡と考えられている区画を一部含んでいます。
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こちらは、国司館跡の南東隅のあたり。

館跡の南側を通る「南1道路」と呼ばれる道路跡と、館跡の東側を通る「西1道路」との交差点付近にあたります。

中央やや右上の、作業服の調査員の方が立っていらっしゃる所が、「南1道路」です。

館跡の道路を挟んで南側の区画では、甕棺墓が見つかっています。
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甕棺墓のアップ。

道路交差点付近でみつかった甕棺墓で、甕を3つ使っています。
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こちらは、国司館跡から交差点を挟んで南東の区画でみつかった掘立柱建物跡。

ちょうど写真中央付近に竪穴住居跡があるのですが、それと重複して新しく掘立柱建物を建てていることが分かります。
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こちらは、さらに南にある「南1-2間道路」跡。

両側に細長く側溝の跡があります。
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その道路跡の南側では、畑の跡が発見されています。

写真の左上~右下に向かってのびる(南北方向)溝が奈良時代の畑跡。
それと直交する方向(東西方向)の溝が平安時代の畑跡です。
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今回の調査区の南端付近では平安時代の水田跡もみつかっています。

その水田跡を覆うようにして、砂の層が堆積していることが確認されました。

水田跡の年代は9世紀前半ごろとみられていますが、それを覆う砂は、近くを流れる砂押川の洪水によって運ばれてきたものなのか、それとも貞観11年(869)の陸奥国大地震にともなう津波による堆積物であるのか、現在専門家に分析を依頼しているところだそうです。
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こちらは、遺物の見学コーナー。

まだまだ調査途中なためか、展示遺物は少なめ。
平安時代を中心とした土器が主体を占めています。


山王遺跡ではこのほか、同じく三陸沿岸道路に関連して、多賀城インターチェンジを新たに建設するために、八幡地区という場所でも発掘調査を行っており、その成果については11月ごろに発表されるそうです。こちらも楽しみです。


【参考文献】
宮城県教育庁文化財保護課 2012 「山王遺跡(多賀前地区)発掘調査現地説明会資料」