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きょうは、
宮城県北部の大崎市で行われた、団子山西遺跡の発掘調査現地説明会に行ってきました。

団子山西遺跡は、古代城柵の新田柵跡の南側に広がる遺跡で、今回の調査ではこの新田柵跡との関連が想定される建物群がみつかりました。

この調査は田尻西部地区ほ場整備事業に伴って宮城県教育委員会が行っているもので、今回の調査区は多くの建物群が発見されたことから地権者の方の協力により調査面積を広げる事ができたそうです。
そのおかげで興味深い成果が上げられています。
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今回の調査区から北のほうを撮影した写真。

写真の道路を挟んで奥に見えるのが、新田柵跡がある丘陵です。
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こちらは、別の場所から撮影した新田柵跡の遠景。
標高40~50mほどの、ゆるやかな丘の上にあります。

新田柵跡が造られたのは奈良時代と考えられています。

当時の宮城県地方は、奈良に都を置く古代国家にとって東の果て。
より北へ領域を拡大しようとする中央政府は、各地に行政と軍事の機能を兼ねた「城柵(じょうさく)」とよばれる施設を設置していきました。

そのひとつが新田柵跡です。
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新田柵跡の南側に広がる団子山西遺跡で行われている今回の発掘調査では、大型の掘立柱建物跡や倉庫とみられる建物跡が規則的に配置されてされている様子がみつかっています。

ふつうのムラの様子とは異なることから、新田柵跡と関連の深い遺跡で、たとえば身分の高い役人や地元の有力者の屋敷の跡の可能性もあります。

上の写真は、南北3間(6.6m)・東西2間(5.2m)の総柱建物跡。
構造的に倉庫として使われたものと考えられています。
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総柱建物跡の柱穴のひとつからは、状態は悪いですが柱根がみつかりました。

柱穴の掘り下げはまだ一部しか行われていないので、これからさらに新たな柱根がみつかる可能性もあります。
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こちらは土器の埋設遺構。

須恵器の壷が据えられています。
10世紀前葉以降のものだそうです。
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こちらは遺物見学のコーナー。

地元の方々が多く集まっているためか、調査員の方が一つ一つの遺物について非常に丁寧に解説していらっしゃいました。

調査員の方が持っているのは、土師器のつくりかたの復元イラスト。

こういった地道な努力が、地域の方々に文化財への理解を広げていくのに重要なのでしょう。


【参考文献】
宮城県教育委員会 2012 「大崎市団子山西遺跡平成24年度発掘調査現地説明会資料」