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きょうは、
南三陸町で行われた、新井田館跡(にいだたてあと)発掘調査の現地説明会にいってきました。

山城の全体を発掘するという、全国的にも非常に珍しい調査が行われています。

保存状態の良好な、中世山城の全貌が明らかになりました。
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こちらは、新井田館跡の遠景。

南東の須賀神社参道から撮影しました。

新井田館跡は、南三陸町の志津川旧市街地(震災により壊滅)の北側にあり、標高67mの丘陵上に立地しています。

新井田館跡をはじめとして、旧市街地をかこむようにして6つの中世山城が存在します。
ただしそれらに関連した歴史史料はわずかで、詳細は不明です。

今回の発掘調査は、この地域の中世の様相を考える上で、非常に重要な成果となります。

この調査は東日本大震災で甚大な被害を受けた、南三陸町志津川中央地区の津波復興拠点整備事業にともなって、造成工事前の記録保存調査として行われています。

調査主体は南三陸町教育委員会ですが、調査には長野県原村・秋田県・埼玉県・山梨県・福井県・新潟県・徳島県・京都市から派遣された応援職員8名と、宮城県の職員1名が参加しています。
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発掘調査では、平場6か所、堀6条、土塁8条が確認されました。

このうち、平場は最高所にある平場1を中心に、南北に大きく3つのまとまりが並び、それらを堀や土塁が囲むような構造になっています。

上の写真は、最高所の平場1から、南の平場2を撮影したもの。
向こうには志津川湾が見えます。

平場2は標高60~64mで、広さは40×20m。

掘立柱建物跡12棟、柱列17条、土塁1条が検出されています。
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こちらは中心部となる平場1。
標高は66~67mで、広さは47×14m。

掘立柱建物跡14棟、柱列14条、土坑1基が検出されています。

このうち建物6とされるものは、
長さ12.6m、幅7.7m、南東と南西に張り出し部がつく、この城で最も大きな建物跡です。

土坑は掘立柱建物跡の中でみつかっており、
焼けた痕跡があることから囲炉裏の可能性が考えられています。
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こちらは、建物跡の柱穴。

岩盤をくり抜いて柱穴を作り出しています

ロームとか礫層とかいう生やさしいものではなく、岩に穴をあけているのはすごいですね。

柱穴の中には、このように工具痕が残されているものもあります。
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こちらは、平場1の北側にある平場5。
標高59~60m、広さは20×20m。

手前側には平場1を囲む堀跡、
右側には竪堀があります。
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こちらは、
平場1の西側を画する堀跡。

幅8m、深さ3mの規模です。

新井田館跡は調査により2度の改修が行われていることが確認されていますが、
この堀跡は断面が台形のものからV字形のものにつくり変えられています。
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こちらは、
さきほどの堀跡のさらに西側(外側)にある土塁。
幅18m、高さ3mの規模です。

土塁頂部から堀の底までの高低差は5mにもなります。

断面を見ると、種類の異なる土を交互に盛って造られているのが分かります。


以上が遺構の紹介ですが、
出土遺物としては陶器・砥石・古銭などがあります。

築城時期に関しては15世紀前半ごろで、17世紀には既に廃絶していたと考えられています。


今回の新井田館跡の調査は、山城全体の発掘調査という珍しいものです。
中世山城の姿を明らかにした調査成果の見学会は、とても貴重な機会でした。


【参考文献】
南三陸町教育委員会 2013 「南三陸町新井田館跡発掘調査現地説明会資料」