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先週の土曜日、
多賀城市で行われた、山王遺跡八幡地区の現地説明会に行ってきました。

この発掘調査は、復興道路として4車線化や多賀城インターの新設などが進められている三陸沿岸道路の工事に伴うもので、今年で3年目になります。

今回の調査地点は、多賀城インター予定地の北西部にあたります。

最初の写真、
奥に見える高架の道路が工事中の三陸沿岸道路です。
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山王遺跡は、
古代に国家による東北支配の拠点とされた多賀城の南側に広がる街並みの遺跡です。

多賀城を基準に設定された道路によって区切られた、碁盤目状の街区の姿が、長年の発掘調査によって明らかになってきています。

今回調査された部分は、その街並みの中でも北のはずれにあたります。

すぐそばに湿地がせまるような地形的制約から、本来の四角形の区画ではなく、かなりゆがんだ細長い区画となってしまっていたことが、今回の調査でわかりました。

また、この区画は真ん中に溝跡があり、それを挟んで東側は畑などに利用され、西側は建物が並んでおり、東西で異なる土地利用が行われたことも判明しました。
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こちらは、調査区の南側でみつかった掘立柱建物跡。

北側の柱列のみが発見されており、建物の大部分は調査区の外側南にあると考えられます。

写真の左側に並んでいる大きな穴が建物の柱穴です。

いっぽう、建物の復元イラストをかかげている調査員の方が立っているあたりには、それよりも小さな穴がいくつも並んでいます。
これらのうちいくつかは、建物のひさしを支えた柱の穴だったとみられています。
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こちらは、調査区の中央部でみつかった竪穴住居跡。

4つの主柱穴と、東向きのカマドがみつかっています。

これらの建物跡は、
915年の十和田a火山灰の降下前につくられた、平安時代の建物であったことが分かっています。
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こちらは、調査区西側で行われた、
より下の層を調査するために部分的に設定された深掘り調査区。

ここでは、古墳時代前期の水田跡がみつかっています。

ヘルメットをかぶった調査員さんのすぐ右側に、まっすぐにのびる小さな土手状の高まりがあります。
これは水田のアゼ(畦畔)です。

およそ1700年前、
このあたりでもコメ作りが行われていたことが分かります。
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こちらは、出土品見学コーナー。

土師器や須恵器の壺・甕・坏のほか、
特に興味を引いたのは、器の内側にウルシがベットリと付着した土器です。

ウルシ製品が作られていたのでしょうか。


「復興道路」と位置付けられている三陸沿岸道路拡幅等に伴う発掘調査には、
全国から応援のために派遣された発掘調査員が多数参加しています。

今年の山王遺跡八幡地区の調査にも、埼玉県・岡山県・奈良県から派遣された調査員の方が参加しているそうです。
復興への協力に感謝です。


【参考文献】
宮城県教育庁文化財保護課 2014 「平成26年度 山王遺跡(八幡地区)発掘調査現地説明会資料」