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東山官衙遺跡は、宮城県北部に位置する加美町に所在します。

8世紀前半ごろから10世紀前半ごろ(奈良時代から平安時代)まで存続した城柵官衙遺跡で、賀美郡家跡ではないかと推測されています。

古代国家による東北進出・支配の拠点の一つであり、8世紀後半から9世紀前半には、南側に広がる平地に碁盤の目のような整然とした道路による町並みのような区画が形成されます。

後にはその「町並み」を一部壊して、東山官衙遺跡と「町並み」を大きく囲むような築地塀・材木塀(櫓状の建物が付属する)が造られているなど、周辺を含めた遺跡群としての構造やその変遷をめぐって、注目を集めている遺跡です。

最初の写真は、東山官衙遺跡の内部、北辺の築地塀付近から遺跡全体を見た様子です。

このように、丘の上にありながら、なかなか広い平坦部がひろがっています。
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こちらは、現地にある案内板。
(※遺跡の内容に関する説明版は、これとは別に遺跡入口にあります)

いびつな台形状に区画された内部に、様々な建物があったことが、これまで行われてきた発掘調査によって分かってきています。
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こちらは、建物跡の礎石です。

遺跡の北西部にあります。
ここからは、倉庫とみられる建物跡がみつかっています。
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さらに西側には、「大穴」と呼ばれている謎の遺構があります。

45m×35mの楕円形を呈する大きなくぼみです。

昨年一部が発掘調査されており、官衙存続時期に造られ・機能していたことは確認されましたが、どのような役割の施設なのかは分かっていません。
(※加美町教育委員会2015「東山官衙遺跡第17次調査概要」『第41回古代城柵官衙遺跡検討会資料集』)
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こちらは、遺跡北辺を画する築地塀跡です。

現在でも若干の高まりがあるのが分かります。
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こちらは、遺跡南側にある南門跡付近から眺めた、南側に広がる平地。

この風景の中に、千年以上前、整然とした幾筋もの直線道路やそれに囲まれた区画、それを大きく取り囲むような築地塀等の区画施設があった。
そうとはとても思えないような、のどかな春の田園風景が広がっていました。