![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/11/kroraina/ac/ba/j/o0560042014677392484.jpg?caw=800)
きょうは、 山形県米沢市で行われている舘山城跡の見学会にいってきました。 現地説明会は昨日だったのですが、わたしは参加できず。 ただ、現地は数日間一般に公開しているということで、本日見学に行きました。 舘山城跡は、米沢駅の西約6㎞に位置し、最上川の支流である大樽川と小樽川が落ち合う舌状台地の東端に造られた山城です。 伊達氏が現在の宮城県にある岩出山や仙台に移って城を築く前、米沢を拠点としていた時代に使われていた城です。 上の写真は、城の東側にある大樽橋から見た、舘山城跡の遠景。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/11/kroraina/47/6f/j/o0560042014677392492.jpg?caw=800)
見学会場に行く途中には、このような案内の看板が。 地元の舘山城保存会の方が掲示している看板です。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/11/kroraina/81/c7/j/o0560042014677392507.jpg?caw=800)
こちらは、城跡の入口にある、これも舘山城保存会が設置した立派な説明版があるのですが、その説明版の城跡平面図。 カラーで分かりやすいです。 ただ、南北が逆になっていますので、見るときはご注意。 調査は平成22年度から行われており、 今年度は図の中央付近、曲輪1と曲輪2の間にある桝形虎口周辺を対象に発掘調査が行われています。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/11/kroraina/ba/24/j/o0560042014677392520.jpg?caw=800)
さて受付で資料を頂いて見学……と思ったら、激しい雷雨。 とても見学どころではありません。 それでも、受付にいた保存会の方が親切にもカッパと長靴を貸して下さり、 小降りになったところを見計らって、調査員の方に現場を案内していただきました。 雨の中、こんなにいろいろと親切にしていただいて感激です。 上の写真は、西側の堀切部分から曲輪1桝形虎口をみたところ。 今回の調査では、昨年度みつかった虎口の石垣の様相が明らかになりました。 石垣は特徴から、伊達氏の時代のものではなく、上杉氏がこの地に移ってきてから構築されたものと考えられるそうです。 伊達氏の城として築かれた舘山城ですが、その後この地を支配した上杉氏が、舘山城を再利用したという記録はありません。 石垣が上杉時代のものであれば、発掘調査で新たな歴史が明らかになったことになります。 ただし、この「再利用」による上杉氏の舘山城は完成することなく、幕府の一国一城令の頃か、あるいはそれ以前に破城が行われたようです。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/11/kroraina/cb/98/j/o0560042014677392532.jpg?caw=800)
上の写真は、曲輪1と曲輪2の間の堀切。 この堀切は伊達氏の築城の際に造られたものですが、 その後に石垣が築かれたときに埋め戻しが行われています。 舘山城跡は、伊達氏の城、上杉氏の城の両面をもった興味深い城であると言えます。 見学後に地元で活動している舘山城保存会の方にもお話をお伺いしました。 米沢は上杉氏の町ということで、伊達氏の城についてはなかなか興味を持ってもらえなかったという話や、市長に直談判して現地を文化財担当の方と一緒に見てもらい、ようやく調査してもらえるようになったことなど。 上記の説明版や標柱などを自分たちで設置し、遠方からの団体見学者への対応など、精力的に活動していらっしゃいます。 発掘調査の結果は今年度中にまとめられ、平成27年度の国史跡指定を目指すそうです。 城跡のふもとに暮らす地元の方々や調査にあたった行政の担当者の方々の熱意によって、伊達と上杉という重層的で豊かなこの町の歴史が明らかになりつつあります。
【参考文献】
米沢市教育委員会 2014 「平成26年度舘山城跡確認調査(舘山城跡主郭)現地説明会資料」
米沢市教育委員会 2014 「平成26年度舘山城跡確認調査(舘山城跡主郭)現地説明会資料」