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幕末明治という短い間に栄えた浜街道、通称「絹の道」をたどる。

前回の続きです。

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保存整備された絹の道をしばらく行くと、大塚山公園に着きます。
その石段の前に、『絹の道』碑があります。

この碑は1957年(昭和32)に橋本義夫らによって建てられました。

橋本義夫(1902~1985)は、主に多摩地方で地域文化運動を主導した人物です。
インテリ層のみが文章を書き発表していた当時、自分史など庶民による文章を唱えて「ふだん記」運動を展開したことで知られています。

地域文化を顕彰するための碑を建てる活動も活発に行っており、この『絹の道』碑もそのひとつです。
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碑のそばの石段を登ると大塚山公園です。

ここは、かつて存在した道了堂(どうりょうどう)というお寺の跡です。

道了堂の創建は1873年(明治6)。絹の道を使って生糸が盛んに横浜へ運ばれていた頃です。
建立したのは鑓水商人たちでした。

当時は本堂・子守堂・庫裡・書院などの建物が並んでいました。

ところが、鑓水商人たちの没落とともに次第に衰退してゆき、1963年(昭和38)には廃寺となりました。

立派だった本堂も、いまでは礎石を残すのみです。

日本の近代化の途上、ほんの一瞬だけ賑わいをみせた栄華の跡。
絹の道とともに、そのはかなさが感じられる場所です。
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先ほどの『絹の道』碑のところまで戻り、左へ進む道を行きます。

途中に紫の実をつけた枝がありました。

植物の知識がないので名前が分かりません…。
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少し行くと、急に視界がひらけます。

鑓水峠です。

遠く奥武蔵の山々まで見渡すことができ、壮観です。
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本来の絹の道はここから片倉方面へ行くのですが、今回はちょっと寄り道して東京工科大学の西にある小道をたどります。

この道の途中から、富士山が見えます。

写真だとうっすら。

富士山の手前にある三角形の山は、丹沢の大室山。
八王子や相模原などでは「富士隠し」という名前でも呼ばれています。



以上、八王子の絹の道でした。
本家のシルクロードとはスケールがぜんぜん違いますが、大きな時代のうねりの中で栄え、そして消えていった歴史の道として、とても貴重なものではないかと思います。


【参考文献】
馬場善信 2001 『浜街道 「絹の道」のはなし』 かたくら書房新書